枝垂れ桜
2012年04月09日
額田南郷の阿弥陀寺の枝垂れ桜が1分咲き
那珂市額田南郷の阿弥陀寺の枝垂れ桜(20101-4-9撮影)
2012年は4月9日1分咲き(満開予想12日)
2009年は4月6日頃に満開でした。
2008年は4月7日頃に満開でした。
3・11東日本大震災で倒れた石灯籠はすでに修復されているものの、ご本尊の修復はまだ出来ていないということでした。
石碑に刻まれている「しだれ桜由来」によると
このしだれ桜は元禄11年(1698)に徳川光圀公により植樹されたと伝えられているので樹齢は312年になります。
親鸞聖人御創建 二十四輩本蹟十四番阿弥陀寺
大山禅房 阿弥陀寺
〒311-0107
茨城県那珂市額田南郷375
TEL:029-298-7505
駐車場有り
「額田南郷にある浄土真宗の寺、開祖は親鸞上人の弟子二十四輩第十四番とされる定信で、建保5年(1217)に初めは大山(桂村)に建立されました。
明徳3年(1392)に額田城主小野崎徒通の懇願により、額田城内堀の内に移し、額田城の守護寺となりました。
その後佐竹氏の秋田移封にともなって小野崎氏とともに秋田に移ったが、まもなく帰国し額田の旧地に再興、元治元年(1864)に天狗党の乱の兵火により消失、本尊である阿弥陀如来仏は県指定文化財になっています。」(那珂市観光協会HPより)
2012年は4月9日1分咲き(満開予想12日)
2009年は4月6日頃に満開でした。
2008年は4月7日頃に満開でした。
3・11東日本大震災で倒れた石灯籠はすでに修復されているものの、ご本尊の修復はまだ出来ていないということでした。
石碑に刻まれている「しだれ桜由来」によると
このしだれ桜は元禄11年(1698)に徳川光圀公により植樹されたと伝えられているので樹齢は312年になります。
親鸞聖人御創建 二十四輩本蹟十四番阿弥陀寺
大山禅房 阿弥陀寺
〒311-0107
茨城県那珂市額田南郷375
TEL:029-298-7505
駐車場有り
「額田南郷にある浄土真宗の寺、開祖は親鸞上人の弟子二十四輩第十四番とされる定信で、建保5年(1217)に初めは大山(桂村)に建立されました。
明徳3年(1392)に額田城主小野崎徒通の懇願により、額田城内堀の内に移し、額田城の守護寺となりました。
その後佐竹氏の秋田移封にともなって小野崎氏とともに秋田に移ったが、まもなく帰国し額田の旧地に再興、元治元年(1864)に天狗党の乱の兵火により消失、本尊である阿弥陀如来仏は県指定文化財になっています。」(那珂市観光協会HPより)
cjs0188 at 18:52|Permalink│Comments(0)│
2010年04月07日
阿弥陀寺の枝垂れ桜が見頃
那珂市額田南郷の阿弥陀寺の枝垂れ桜が見頃です。(20101-4-6撮影)
2008年は4月7日頃に満開でした。
2009年は4月6日頃に満開でした。
石碑に刻まれている「しだれ桜由来」によると
このしだれ桜は元禄11年(1698)に徳川光圀公により植樹されたと伝えられているので樹齢は312年になります。
親鸞聖人御創建 二十四輩本蹟十四番阿弥陀寺
大山禅房 阿弥陀寺
〒311-0107
茨城県那珂市額田南郷375
TEL:029-298-7505
駐車場有り
「額田南郷にある浄土真宗の寺、開祖は親鸞上人の弟子二十四輩第十四番とされる定信で、建保5年(1217)に初めは大山(桂村)に建立されました。
明徳3年(1392)に額田城主小野崎徒通の懇願により、額田城内堀の内に移し、額田城の守護寺となりました。
その後佐竹氏の秋田移封にともなって小野崎氏とともに秋田に移ったが、まもなく帰国し額田の旧地に再興、元治元年(1864)に天狗党の乱の兵火により消失、本尊である阿弥陀如来仏は県指定文化財になっています。」(那珂市観光協会HPより)
2008年は4月7日頃に満開でした。
2009年は4月6日頃に満開でした。
石碑に刻まれている「しだれ桜由来」によると
このしだれ桜は元禄11年(1698)に徳川光圀公により植樹されたと伝えられているので樹齢は312年になります。
親鸞聖人御創建 二十四輩本蹟十四番阿弥陀寺
大山禅房 阿弥陀寺
〒311-0107
茨城県那珂市額田南郷375
TEL:029-298-7505
駐車場有り
「額田南郷にある浄土真宗の寺、開祖は親鸞上人の弟子二十四輩第十四番とされる定信で、建保5年(1217)に初めは大山(桂村)に建立されました。
明徳3年(1392)に額田城主小野崎徒通の懇願により、額田城内堀の内に移し、額田城の守護寺となりました。
その後佐竹氏の秋田移封にともなって小野崎氏とともに秋田に移ったが、まもなく帰国し額田の旧地に再興、元治元年(1864)に天狗党の乱の兵火により消失、本尊である阿弥陀如来仏は県指定文化財になっています。」(那珂市観光協会HPより)
cjs0188 at 17:28|Permalink│Comments(0)│
2009年04月09日
龍昌院の枝垂れ桜が満開
那珂市戸にある龍昌院の枝垂れ桜が満開になり、カメラマンがシャッターを切っていました。
4月8日花まつりの日に墓参する人が一人、カメラマンが二人だけ。
地蔵さんが赤い帽子をかぶって桜を見ていました。
(以下は那珂市観光協会よりのコピペです。)
那珂市戸にある曹洞宗の寺、瑠璃山龍昌院薬師寺と号する。
もとは真言宗の薬師寺といった。本尊は薬師如来、文明16年(1484)に曹洞宗に改められ現在の名となる。
開祖は戸村城主戸村義弘で、下阿野沢(桂村)の龍谷院の二世無学宗芸を招いて開山として建立された寺です。
のち佐竹氏の秋田国替えの際に、戸村氏が什物一切を秋田へ移し、横手(秋田県)にも無学宗芸を開山として龍昌院を建立。
常陸に残った龍昌院は、寛永12年(1635)に本堂を焼失し、延宝4年(1676)に檜山左衛門を中興開祖として再建されました。その後、明治41年に風水害で堂宇は倒壊し、昭和63年に本堂を再建しました。
4月8日花まつりの日に墓参する人が一人、カメラマンが二人だけ。
地蔵さんが赤い帽子をかぶって桜を見ていました。
(以下は那珂市観光協会よりのコピペです。)
那珂市戸にある曹洞宗の寺、瑠璃山龍昌院薬師寺と号する。
もとは真言宗の薬師寺といった。本尊は薬師如来、文明16年(1484)に曹洞宗に改められ現在の名となる。
開祖は戸村城主戸村義弘で、下阿野沢(桂村)の龍谷院の二世無学宗芸を招いて開山として建立された寺です。
のち佐竹氏の秋田国替えの際に、戸村氏が什物一切を秋田へ移し、横手(秋田県)にも無学宗芸を開山として龍昌院を建立。
常陸に残った龍昌院は、寛永12年(1635)に本堂を焼失し、延宝4年(1676)に檜山左衛門を中興開祖として再建されました。その後、明治41年に風水害で堂宇は倒壊し、昭和63年に本堂を再建しました。
cjs0188 at 21:58|Permalink│Comments(0)│
2009年04月04日
阿弥陀寺の枝垂れ桜は5分咲き
那珂市額田南郷の阿弥陀寺の枝垂れ桜は5分咲き。
毎年撮影に来ているというカメラマンによると、見ごろは来週初め頃の予想です。
2008年は4月7日頃に満開でした。
(4月3日朝撮影)
石碑に刻まれている「しだれ桜由来」によると
このしだれ桜は元禄11年(1698)に徳川光圀公により植樹されたと伝えられているので樹齢は310年になるんですね。
親鸞聖人御創建 二十四輩本蹟十四番阿弥陀寺
大山禅房 阿弥陀寺
〒311-0107
茨城県那珂市額田南郷375
TEL:029-298-7505
駐車場有り
「額田南郷にある浄土真宗の寺、開祖は親鸞上人の弟子二十四輩第十四番とされる定信で、建保5年(1217)に初めは大山(桂村)に建立されました。
明徳3年(1392)に額田城主小野崎徒通の懇願により、額田城内堀の内に移し、額田城の守護寺となりました。
その後佐竹氏の秋田移封にともなって小野崎氏とともに秋田に移ったが、まもなく帰国し額田の旧地に再興、元治元年(1864)に天狗党の乱の兵火により消失、本尊である阿弥陀如来仏は県指定文化財になっています。」(那珂市観光協会HPより)
毎年撮影に来ているというカメラマンによると、見ごろは来週初め頃の予想です。
2008年は4月7日頃に満開でした。
(4月3日朝撮影)
石碑に刻まれている「しだれ桜由来」によると
このしだれ桜は元禄11年(1698)に徳川光圀公により植樹されたと伝えられているので樹齢は310年になるんですね。
親鸞聖人御創建 二十四輩本蹟十四番阿弥陀寺
大山禅房 阿弥陀寺
〒311-0107
茨城県那珂市額田南郷375
TEL:029-298-7505
駐車場有り
「額田南郷にある浄土真宗の寺、開祖は親鸞上人の弟子二十四輩第十四番とされる定信で、建保5年(1217)に初めは大山(桂村)に建立されました。
明徳3年(1392)に額田城主小野崎徒通の懇願により、額田城内堀の内に移し、額田城の守護寺となりました。
その後佐竹氏の秋田移封にともなって小野崎氏とともに秋田に移ったが、まもなく帰国し額田の旧地に再興、元治元年(1864)に天狗党の乱の兵火により消失、本尊である阿弥陀如来仏は県指定文化財になっています。」(那珂市観光協会HPより)
cjs0188 at 00:06|Permalink│Comments(0)│