のれんげ草
2009年05月23日
思い出のれんげ草
東海村竹瓦付近,常磐線と久慈川田園通りに挟まれた田んぼ一面ピンク色に染まっています。ただ今年は面積が狭いようです。
半世紀前の農村風景の一つであったれんげ草。
根っこに出来る根粒菌が空気中の窒素を固定し、田んぼに窒素肥料を還元する役目をし、有機肥料を自給してたんですね。
**化学肥料が発達してれんげ草が不要になった。
多くの農家では農耕用に牛や馬、自給用に卵や肉を得るための鶏、子どもの小遣い稼ぎにうさぎ、乳しぼりの山羊などを飼っていてそれら動物の餌としてれんげ草を与えていました。
**耕運機が発達し牛馬を飼う必要がなくなりれんげ草はいらなくなった。
また子どもの遊びとしては、レンゲの花束、首飾りなどを作り、白い花のレンゲ草をみつけると幸運の印として大事にしました。
農家から家畜が消えるとともに、レンゲ草も消え、子どもたちはれんげ畑で遊べなくなってしまいました。
(自給自足的な社会システムが変転し、大量生産・大量消費・金融資本主義社会も瓦解し、「持続可能な循環型社会」が望まれる時代になりました。)
場所:日立市側から、久慈川にかかる留大橋を渡って、前方東海村方向を見ると、ピンク色の田んぼが見えます。
れんげ畑の所在地は 東海村石神内宿山下


向こうを走るのは特急ひたち


ミツバチが蜜集め

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半世紀前の農村風景の一つであったれんげ草。
根っこに出来る根粒菌が空気中の窒素を固定し、田んぼに窒素肥料を還元する役目をし、有機肥料を自給してたんですね。
**化学肥料が発達してれんげ草が不要になった。
多くの農家では農耕用に牛や馬、自給用に卵や肉を得るための鶏、子どもの小遣い稼ぎにうさぎ、乳しぼりの山羊などを飼っていてそれら動物の餌としてれんげ草を与えていました。
**耕運機が発達し牛馬を飼う必要がなくなりれんげ草はいらなくなった。
また子どもの遊びとしては、レンゲの花束、首飾りなどを作り、白い花のレンゲ草をみつけると幸運の印として大事にしました。
農家から家畜が消えるとともに、レンゲ草も消え、子どもたちはれんげ畑で遊べなくなってしまいました。
(自給自足的な社会システムが変転し、大量生産・大量消費・金融資本主義社会も瓦解し、「持続可能な循環型社会」が望まれる時代になりました。)
場所:日立市側から、久慈川にかかる留大橋を渡って、前方東海村方向を見ると、ピンク色の田んぼが見えます。
れんげ畑の所在地は 東海村石神内宿山下


向こうを走るのは特急ひたち


ミツバチが蜜集め

cjs0188 at 00:26|Permalink│Comments(0)│