東日本大震災
2011年03月31日
河津桜咲く 東日本大震災に負けないで
日立おさかなセンターとウェルサンピア日立との間の広場で開花しました。
瀬上川沿いに10本あるうちの東側の5本・河津桜は散り始め、さらに西側の5本は修善寺寒桜なのか開花しました。
久慈浜の町は地震と津波により大きな被害を受けて、河津桜も幹の皮がはげ、潮の影響か 咲いたばかりの数輪は花びらがしおれています。
人智を超えて、何事もなかったように咲く桜の花に、ストレスや不安を抱えてはいるものの、元気をもらって、浜の町の復旧に頑張りたいものです。
幹の皮がはげています。
埋め立ての記念石碑も南側に傾いています。
かつてリトルリーグの子供たちが野球を楽しんでいた運動場は震災瓦礫の集積場になっています。
かつて久慈川の河口であったところを埋め立てた場所は地盤が弱いのか路面が大規模にえぐられています。
路面のアスファルトが畳状にはがれて、広場の芝生の上や歩道に移動しています。
かつてまっすぐであった瀬上川の川岸が両側から押され曲がって狭くなっています。
埋め立てる前の久慈川河口風景。
「埋め立て絶対反対」などのプラカードが見える。
干物作りが盛んであったころ。
河口でシジミやアサリ採り、夏には砂丘で海水浴を楽しんだ。
(昭和47年9月に日立市内の工場に転勤して、その後昭和49年ごろに撮影。)
瀬上川沿いに10本あるうちの東側の5本・河津桜は散り始め、さらに西側の5本は修善寺寒桜なのか開花しました。
久慈浜の町は地震と津波により大きな被害を受けて、河津桜も幹の皮がはげ、潮の影響か 咲いたばかりの数輪は花びらがしおれています。
人智を超えて、何事もなかったように咲く桜の花に、ストレスや不安を抱えてはいるものの、元気をもらって、浜の町の復旧に頑張りたいものです。
幹の皮がはげています。
埋め立ての記念石碑も南側に傾いています。
かつてリトルリーグの子供たちが野球を楽しんでいた運動場は震災瓦礫の集積場になっています。
かつて久慈川の河口であったところを埋め立てた場所は地盤が弱いのか路面が大規模にえぐられています。
路面のアスファルトが畳状にはがれて、広場の芝生の上や歩道に移動しています。
かつてまっすぐであった瀬上川の川岸が両側から押され曲がって狭くなっています。
埋め立てる前の久慈川河口風景。
「埋め立て絶対反対」などのプラカードが見える。
干物作りが盛んであったころ。
河口でシジミやアサリ採り、夏には砂丘で海水浴を楽しんだ。
(昭和47年9月に日立市内の工場に転勤して、その後昭和49年ごろに撮影。)
cjs0188 at 10:55|Permalink│Comments(0)│