栃木県茂木町

2010年10月02日

能持院(2)開運ダルマ大般若

能持院(2)開運ダルマ大般若
◆開催日時:[2010]平成22年10月2日(土)午後5時〜7時
◇開催場所:曹洞宗 塩田山 能持院
    栃木県芳賀郡茂木町塩田227
◇問合わせ:電話0285−63−2625

茂木町塩田地区県道27号線沿い、静かなたたずまいの茅葺きの能持院総門の脇に彼岸花が咲いています。
雨の日に訪れると雰囲気がぴったりする感じです。

開運ダルマ大般若17:00〜18:30(参加無料)
 玄奘三蔵(三蔵法師)が古来インドよりシルクロードを経て、中国に持ち帰った「大般若経600巻」を転読(パラパラと一巻一巻開く)し、参詣者の願いを祈祷する大法要です。

10月は禅の初祖である菩提達磨大和尚(だるま大師)のご命日(達磨忌)です。
「般若の風」にあたりだるま様の縁起にあやかってきました。

 住職と僧侶10人が読経するなか、住職を囲んだ10人の僧侶の前におかれた般若経を一巻一巻取り出し、蛇腹を開くような形式で転読が続きます。
後に一般参詣者はご本尊の前に進み、一人の僧侶が般若経をパラパラと転読することにより起こる「般若の風」にあたり、焼香をし、さらに有難い潅頂(かんちょう, 頭を少量の水で注いで清める儀式)を受けます。

キャンドルナイト17:00点灯(参加無料)
 境内の細い棚にアレンジされた300ものロウソクに点灯されます、5時。
一個毎に「開運だるま大般若」「能持院」と書かれ、和紙を通してのロウソクの炎の揺らぎは心を和ませてくれ、またかがり火も焚かれ幽玄な趣が漂います。


能持院の由緒沿革(境内の掲示から)
 茂木氏の祖八田知家の三男知基が建久3年(1192)茂木に住み、茂木家の祖となる。

能持院は知基により貞応元年(1222)に創建され、文明3年(1471)11代領主上総介知持の代わりに小田原海蔵寺の僧、模堂永範和尚により中興開山され、文禄4年(1595)17代領主筑後守治良常陸小川城へ移されるまで代々菩提寺にしたと伝えられる。

 その後、慶長15年(1610)細川玄蕃頭興元公が茂木1万5千石に封ぜられてからは9代領主興貫公に到るまで細川氏の菩提寺となっていた。

この間2回の火災に合い伽藍を焼失したが、幸い総門は難を免れ中興開山当初の姿を今にとどめている。

本尊は十一面観世音で、境内には室町時代中期の総門、細川家の墓所等がある。
昭和43年茂木町指定有形文化財

三蔵法師
 玄奘三蔵(600または602〜664)は中国・隋の時代に生まれ、唐の時代に盛名を馳せた仏法僧です。
いまでは、三蔵法師といえば玄奘三蔵のことを指すようになっていますが、もともとは釈迦の教えの「経」、仏教者の守るべき戒律の「律」、経と律を研究した「論」の三つを究めた僧を三蔵といい、普通名詞です。
したがって大勢の三蔵法師がいたが、なかでも玄奘はきわめて優れていたので、三蔵法師といえば玄奘のこととなりました。

能持院茂木10-10-02(4)開運だるま大般若能持院茂木10-10-02(4)開運だるま大般若






能持院茂木10-10-02(4)開運だるま大般若能持院茂木10-10-02(4)開運だるま大般若






能持院茂木10-10-02(4)開運だるま大般若能持院茂木10-10-02(4)開運だるま大般若

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2010年10月01日

能持院(1)キャンドルナイト

能持院(1)キャンドルナイト
◆開催日時:[2010]平成22年10月2日(土)午後5時〜7時
◇開催場所:曹洞宗 塩田山 能持院
    栃木県芳賀郡茂木町塩田227
◇問合わせ:電話0285−63−2625

茂木町塩田地区県道27号線沿い、静かなたたずまいの茅葺きの能持院総門の脇に彼岸花が咲いています。
雨の日に訪れると雰囲気がぴったりする感じです。

キャンドルナイト
 境内の細い棚にアレンジされた300ものロウソクに点灯されます、5時。
一個毎に「開運だるま大般若」「能持院」と書かれ、和紙を通してのロウソクの炎の揺らぎは心を和ませてくれ、またかがり火も焚かれ幽玄な趣が漂います。


能持院の由緒沿革(境内の掲示から)
 茂木氏の祖八田知家の三男知基が建久3年(1192)茂木に住み、茂木家の祖となる。

能持院は知基により貞応元年(1222)に創建され、文明3年(1471)11代領主上総介知持の代わりに小田原海蔵寺の僧、模堂永範和尚により中興開山され、文禄4年(1595)17代領主筑後守治良常陸小川城へ移されるまで代々菩提寺にしたと伝えられる。

 その後、慶長15年(1610)細川玄蕃頭興元公が茂木1万5千石に封ぜられてからは9代領主興貫公に到るまで細川氏の菩提寺となっていた。

この間2回の火災に合い伽藍を焼失したが、幸い総門は難を免れ中興開山当初の姿を今にとどめている。

本尊は十一面観世音で、境内には室町時代中期の総門、細川家の墓所等がある。
昭和43年茂木町指定有形文化財

能持院茂木10-10-02(3)キャンドルナイト能持院茂木10-10-02(3)キャンドルナイト






能持院茂木10-10-02(3)キャンドルナイト能持院茂木10-10-02(3)キャンドルナイト






能持院茂木10-10-02(3)キャンドルナイト能持院茂木10-10-02(3)キャンドルナイト






能持院茂木10-10-02(3)キャンドルナイト能持院茂木10-10-02(3)キャンドルナイト

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2009年09月25日

河井のささら(3)四つの舞

河井のささら(3)四つの舞
開催日:平成21年9月21日10時から
場 所:茂木町河井地区
八幡神社境内:午前10時から
長寿寺境内:午後2時から

舞は次の4種の踊りから構成されています。
1.打ち込みの舞
2.神立の舞
3.四つの舞
4.引きの舞

 四つの舞は花の舞ともいわれ、河井のささらの中心的な舞として位置づけられた華やかな場面です。
4人の女の子(雑子・ざっこ)は赤い振り袖に花笠を被り、手には「ささら」という竹製の楽器を持っています。

  四つの舞では、雌獅子が争いを避けて4人の雑子の中に身を隠す。その雌獅子を雄獅子と中獅子が探しながら回りで舞い、やがて雌獅子を見つけて連れ出すというストーリーが展開されます。

「ささら」には2種類あります。
 河井の「ささら」は竹を半分に割って、割った面に鋸歯状にギザギザをつけたもので、ギザギザ面を棒でこすると「ザラザラ」という音が出る素朴な楽器です。
 金砂田楽で使われる「ビンササラ」は竹をヘラ状に削って数十枚紐に通したもので、両手で持って左右に振ると「ザラザラ」という音がでます。
茂木09-09-21(10a)河井のささら茂木09-09-21(10a)河井のささら






茂木09-09-21(10a)河井のささら茂木09-09-21(10a)河井のささら






茂木09-09-21(10a)河井のささら茂木09-09-21(10a)河井のささら

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2009年09月24日

河井のささら(2)長寿寺境内にて

河井のささら(2)長寿寺境内にて
開催日:平成21年9月21日10時から
場 所:茂木町河井地区
八幡神社境内:午前10時から
長寿寺境内:午後2時から

 源義家伝説の長寿姫の霊を弔う意味で獅子舞を奉納します。
現代では、敬老の日にちなんでおじいちゃん、おばあちゃんたちを迎え獅子舞を披露することにしているそうです。孫のような子どもたちの舞いを見て、お年寄りも元気が出ます。

 獅子舞の構成は子どもたちが主体で、警護2、膳被り2、ザッコ4、フクベ2、雄獅子、中獅子、雌獅子の13人が獅子舞を踊り、大人男子が笛で囃します。
通常獅子舞は男の子の役目ですが、少子化のため男の子がいない、3匹の内女の子二人が獅子舞を踊ります。
 舞う時間はおよそ40分間、まだ気温の高い午後、獅子頭をつけて踊るのは難儀なことですが、午前中の舞いの疲れも見せず、上手に舞って敬老の日を祝っていました。
舞は次の4種の踊りから構成されています。(ただ見ている分には切り替わりがわからない)
1.打ち込みの舞
2.神立の舞
3.四つの舞
4.引きの舞
河井のささら河井のささら






河井のささら河井のささら






河井のささら河井のささら

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2009年09月23日

河井のささら(1)八幡神社にて

河井のささら(1)八幡神社にて
開催日:平成21年9月21日10時から
場 所:茂木町河井地区
八幡神社境内:午前10時から
長寿寺境内:午後2時から


獅子舞(ささら)の由来
 伝説によると、900年前「後三年の役」がおこり、源義家(八幡太郎義家)は奥州征伐の途中この河井に立ち寄り、源氏の守護神である八幡神を勧請し社殿を再建したと言われています。
 この時都から共に下ってきた長寿姫を、戦場に赴かせるのは忍びないとして、長寿寺を建立し、ここに長寿姫を残し東北へ出陣しましたが、中秋の名月の夜 別れの宴に神楽を舞わせ姫との別離を惜しみました。
 その後、長寿姫は義家の帰りを待ちわびながら、病を得て帰らぬ人となり、以来この哀れな姫を慰めるため、村人が獅子舞を舞うことになったといわれています。

ああ悲しいかな、伝説とはいえ華やかな都から遥か遠くはなれた東国に一人残されたわびしさ、愛しい人を待ちわびて不帰の人となり、果てた姫様の心情・・・。

河井獅子舞08-09-15河井獅子舞08-09-15








河井獅子舞08-09-15河井獅子舞08-09-15







河井獅子舞08-09-15河井獅子舞08-09-15

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2009年09月21日

彼岸花とお地蔵さん 茂木町 能持院

 茂木町塩田地区県道27号線沿い、静かなたたずまいの茅葺きの能持院総門の脇に彼岸花が咲いています。
雨の日に訪れると雰囲気がぴったりする感じです。

能持院の由緒沿革から
 茂木氏の祖八田知家の三男知基が貞応元年(1222)に創建し、文禄4年(1595)17代領主筑後守治良常陸小川城へ移されるまで代々菩提寺にしたと伝えられる。

彼岸花(11)茂木塩田能持院彼岸花(11)茂木塩田能持院







彼岸花(11)茂木塩田能持院彼岸花(11)茂木塩田能持院






彼岸花(11)茂木塩田能持院彼岸花(11)茂木塩田能持院

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2008年09月20日

河井獅子舞 茂木氏と佐竹氏

開催日:平成20年9月15日10時から
場 所:茂木町河井地区
八幡神社境内:午前10時から
長寿寺境内:午後2時から

長寿寺のガラス戸に見つけたもの、「日の丸扇」の家紋です。
戦国時代に常陸の国を支配していた佐竹氏と同じ家紋ですが何故なのか。
獅子舞の役員に聞いたところ、茂木を支配していた茂木氏は佐竹氏と合戦しているなどの歴史的事実があるらしい。
河井獅子舞08-09-15-53扇子河井獅子舞08-09-15-53扇子








佐竹氏の居城舞鶴城のあった常陸太田市、その法然寺の瓦と鉄鉢に佐竹氏の「日の丸扇」の紋が見えます。
法然寺は延元元年(670年前)に建てられ佐竹氏の保護を受けた浄土宗のお寺です。
法然寺法然寺










道の駅もてぎプラザ「城山公園」を参考にさせていただくと
茂木氏・茂木城・城山公園は
○建久3年(1192年)宇都宮宗綱の弟八田知家が築城し、茂木氏と称しました。
○永享12年(1440年)茂木氏は、足利尊氏、鎌倉公方に従い、鎌倉公方足利持氏の子春王丸、安王丸が茂木城に挙兵し、結城合戦の因となります。
○永禄9年(1556年)佐竹義重に攻められ落城。以後佐竹氏に従いました。
○天正13年(1585年)北条氏政に攻められ落城。
○慶長7年(1602年)佐竹氏が出羽に転封されると、茂木氏も随身して仙北郡横手に移りました

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2008年09月19日

敬老の日 河井の獅子舞

開催日:平成20年9月15日10時から
場 所:茂木町河井地区
八幡神社境内:午前10時から
長寿寺境内:午後2時から

河井地区のおじいちゃん、おばあちゃんが長寿寺の座敷から見ている庭で、子どもたちが獅子舞を奉納す。
かわいい孫たちの舞を見て、ご老人の気持ちも和み、最終には「よく出来たね」の拍手がいっぱいでした。
河井獅子舞08-09-15-54選抜320河井獅子舞08-09-15-54選抜320







河井獅子舞08-09-15-54選抜320河井獅子舞08-09-15-54選抜320







河井獅子舞08-09-15-54選抜320河井獅子舞08-09-15-54選抜320

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2008年09月18日

中秋の名月と河井獅子舞

栃木県茂木町のお祭りですが、美しい姫様の哀れに引かれて、何度も撮影に行きます。
開催日:平成20年9月15日10時から
場 所:茂木町河井地区
八幡神社境内:午前10時から
長寿寺境内:午後2時から

獅子舞(ささら)の由来
 伝説によると、900年前「後三年の役」がおこり、源義家(八幡太郎義家)は奥州征伐の途中この河井に立ち寄り、源氏の守護神である八幡神を勧請し社殿を再建したと言われています。
 この時都から共に下ってきた長寿姫を、戦場に赴かせるのは忍びないとして、長寿寺を建立し、ここに長寿姫を残し東北へ出陣しましたが、中秋の名月の夜 別れの宴に神楽を舞わせ姫との別離を惜しみました。
 その後、長寿姫は義家の帰りを待ちわびながら、病を得て帰らぬ人となり、以来この哀れな姫を慰めるため、村人が獅子舞を舞うことになったといわれています。

ああ悲しいかな、伝説とはいえ華やかな都から遥か遠くはなれた東国に一人残されたわびしさ、愛しい人を待ちわびて不帰の人となり、果てた姫様の心情・・・。

河井獅子舞1河井獅子舞1







河井獅子舞1河井獅子舞1







河井獅子舞1河井獅子舞1







河井獅子舞1河井獅子舞1

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2008年08月13日

山内上組百堂念仏踊り

 お盆にご先祖を迎え供養する芸能が伝承されているもののひとつで茨城県の隣町なので手近に行くことが出来ます。
山内上組百堂念仏踊りは栃木県茂木町山内上組、那珂川水系八反田川の上流部「日本の棚田百選」の棚田や、「柚子の里」のゆず畑が散在する集落で細々と行われています。

 神仏混合(獅子舞と念仏踊り)の異色芸能として日本では数少ない貴重な民俗芸能です。
また獅子舞は二頭獅子で、これも日本ではほとんど残っていない獅子舞の形です。
8月13日には公会堂で「獅子おこし」、8月15日には新盆の家を回って獅子舞と念仏踊りでご先祖を供養します。

山内上組地区は全て高齢者世帯、子どもの姿は見えない過疎の集落で、麓の中川小学校の児童の応援をもってかろうじて存続しているのが現状です。
 この日のカメラマンは一人、獅子舞の少年たちと軽トラックの荷台に乗せてもらって、急峻な山道の峠を越えて新盆のうちを巡りながら、この踊りの存続の可能性に不安を覚えながら、せめて画像で記録することが務めだと考えました。
茂木町山内上組百堂念仏05-08-13茂木町山内上組百堂念仏05-08-13






(左)山の頂上付近にあるお家、庭の向こうは雷雲、まさに”天空の踊り”のような情景でした。
茂木町山内上組百堂念仏05-08-13茂木町山内上組百堂念仏05-08-13






茂木町山内上組百堂念仏05-08-13茂木町山内上組百堂念仏05-08-13







(2005-08-13,15撮影データです。帰省した孫の相手をしていたので予定した取材ができず過去の画像をUPします。)


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