2015年03月20日
第199回西金砂神社小祭礼(11A)東連地町嵯峨神社四方拝
第199回西金砂神社小祭礼 東連地町嵯峨神社四方拝
(2015)平成27年3月21日〜28日まで
東連地公会堂にて
3月28日(土) 小祭礼執行当日
6:00 嵯峨神社四方拝
*嵯峨神社由緒
所在地:常陸太田市東連地町621番地
祭神:八千戈神(やちほこのかみ)、大己貴命(おおなむちのみこと)の別称
天喜5年(1057年)陸奥守鎮守府将軍源頼義が阿部貞任・宗任兄弟征討のため奥州へおもむく途中、この地に露営し、戦勝を祈願して嵯峨神社を大石沢山に創建したと伝えられる。
その後、100年余を経た治承4年(1108年)右兵衛佐源頼朝が、西金砂神社に籠もる佐竹秀義を攻めた時、佐竹の武将千葉忠常が前線防備のため、沿道の人家に火を放って焼いた。
その余火をうけ、社は礎を残すのみとなったという。
信仰厚き地元民が社を再建し、祭祀を続けてきたが、元禄9年(1696年)、徳川光圀が、源氏ゆかりの地、面影山に遷座して、東連地・芦間の鎮守とした。
*四方拝とは:[1月1日に行われる朝廷の行事。寅の刻に、天皇が清涼殿の東庭に出御して、天地、四方および山稜を拝し、年災を払い、皇位の長久を祈る。]より、転じてお祭りの無事を祈願する神事です。
(2015)平成27年3月21日〜28日まで
東連地公会堂にて
3月28日(土) 小祭礼執行当日
6:00 嵯峨神社四方拝
*嵯峨神社由緒
所在地:常陸太田市東連地町621番地
祭神:八千戈神(やちほこのかみ)、大己貴命(おおなむちのみこと)の別称
天喜5年(1057年)陸奥守鎮守府将軍源頼義が阿部貞任・宗任兄弟征討のため奥州へおもむく途中、この地に露営し、戦勝を祈願して嵯峨神社を大石沢山に創建したと伝えられる。
その後、100年余を経た治承4年(1108年)右兵衛佐源頼朝が、西金砂神社に籠もる佐竹秀義を攻めた時、佐竹の武将千葉忠常が前線防備のため、沿道の人家に火を放って焼いた。
その余火をうけ、社は礎を残すのみとなったという。
信仰厚き地元民が社を再建し、祭祀を続けてきたが、元禄9年(1696年)、徳川光圀が、源氏ゆかりの地、面影山に遷座して、東連地・芦間の鎮守とした。
*四方拝とは:[1月1日に行われる朝廷の行事。寅の刻に、天皇が清涼殿の東庭に出御して、天地、四方および山稜を拝し、年災を払い、皇位の長久を祈る。]より、転じてお祭りの無事を祈願する神事です。