2009年04月09日
龍昌院の枝垂れ桜が満開
那珂市戸にある龍昌院の枝垂れ桜が満開になり、カメラマンがシャッターを切っていました。
4月8日花まつりの日に墓参する人が一人、カメラマンが二人だけ。
地蔵さんが赤い帽子をかぶって桜を見ていました。
(以下は那珂市観光協会よりのコピペです。)
那珂市戸にある曹洞宗の寺、瑠璃山龍昌院薬師寺と号する。
もとは真言宗の薬師寺といった。本尊は薬師如来、文明16年(1484)に曹洞宗に改められ現在の名となる。
開祖は戸村城主戸村義弘で、下阿野沢(桂村)の龍谷院の二世無学宗芸を招いて開山として建立された寺です。
のち佐竹氏の秋田国替えの際に、戸村氏が什物一切を秋田へ移し、横手(秋田県)にも無学宗芸を開山として龍昌院を建立。
常陸に残った龍昌院は、寛永12年(1635)に本堂を焼失し、延宝4年(1676)に檜山左衛門を中興開祖として再建されました。その後、明治41年に風水害で堂宇は倒壊し、昭和63年に本堂を再建しました。
4月8日花まつりの日に墓参する人が一人、カメラマンが二人だけ。
地蔵さんが赤い帽子をかぶって桜を見ていました。
(以下は那珂市観光協会よりのコピペです。)
那珂市戸にある曹洞宗の寺、瑠璃山龍昌院薬師寺と号する。
もとは真言宗の薬師寺といった。本尊は薬師如来、文明16年(1484)に曹洞宗に改められ現在の名となる。
開祖は戸村城主戸村義弘で、下阿野沢(桂村)の龍谷院の二世無学宗芸を招いて開山として建立された寺です。
のち佐竹氏の秋田国替えの際に、戸村氏が什物一切を秋田へ移し、横手(秋田県)にも無学宗芸を開山として龍昌院を建立。
常陸に残った龍昌院は、寛永12年(1635)に本堂を焼失し、延宝4年(1676)に檜山左衛門を中興開祖として再建されました。その後、明治41年に風水害で堂宇は倒壊し、昭和63年に本堂を再建しました。