2013年02月
2013年02月27日
第5回スロータウン鯨ケ丘のひなまつり
◆名称:〜和暦の時間(とき)が流れる街〜
第5回スロータウン鯨ケ丘のひなまつり
◆日時:[2013]平成25年3月1日(金)〜3月31日(日)
ゆったりとした時間と空間を過ごすことができます。
ぜひお越し下さい。
◆会場:常陸太田市鯨ケ丘商店街(東一町〜東三町ほか)
蔵造りの家並みと坂のある町常陸太田。 平安時代後期から佐竹氏の城下町として栄え
江戸時代初期からは水戸藩の所領となり、茨城県北の中心地として栄えた町です。
お雛様を愛でつつ、蔵の町の探訪ができます。
◆イベント
期間を通じ開催
・ひな人形・つるし雛の展示 約120体(約40店舗)を展示予定
・鯨ヶ丘ひな巡り(ウォークラリー)参加者先着二千名に鯨ヶ丘オリジナル絵葉書プレゼント
◆期日を指定し開催
・お茶のおもてなし 3月2日(土),16日(土),30日(土)
・鯨ヶ丘楽市 期間中の土曜・日曜
・軒下バザール 3月30日(土)
・夜市屋台村 3月30日(土)
・鯨ヶ丘ダンスフェスティバル 3月30日(土)
◆問合せ
鯨ヶ丘商店会(喜久屋)TEL72-0569 URL:http://www.kujiragaoka.com(外部リンク)
常陸太田市商工会 TEL72-5533
市役所商工観光課 TEL72-8071
第5回スロータウン鯨ケ丘のひなまつり
◆日時:[2013]平成25年3月1日(金)〜3月31日(日)
ゆったりとした時間と空間を過ごすことができます。
ぜひお越し下さい。
◆会場:常陸太田市鯨ケ丘商店街(東一町〜東三町ほか)
蔵造りの家並みと坂のある町常陸太田。 平安時代後期から佐竹氏の城下町として栄え
江戸時代初期からは水戸藩の所領となり、茨城県北の中心地として栄えた町です。
お雛様を愛でつつ、蔵の町の探訪ができます。
◆イベント
期間を通じ開催
・ひな人形・つるし雛の展示 約120体(約40店舗)を展示予定
・鯨ヶ丘ひな巡り(ウォークラリー)参加者先着二千名に鯨ヶ丘オリジナル絵葉書プレゼント
◆期日を指定し開催
・お茶のおもてなし 3月2日(土),16日(土),30日(土)
・鯨ヶ丘楽市 期間中の土曜・日曜
・軒下バザール 3月30日(土)
・夜市屋台村 3月30日(土)
・鯨ヶ丘ダンスフェスティバル 3月30日(土)
◆問合せ
鯨ヶ丘商店会(喜久屋)TEL72-0569 URL:http://www.kujiragaoka.com(外部リンク)
常陸太田市商工会 TEL72-5533
市役所商工観光課 TEL72-8071
2013年02月11日
嵐除祭で浜大漁・陸万作・復興祈願
祭り名;嵐除祭
神社名;東金砂神社
日時:平成25年2月11日(月)午前11時〜12時30分
場所:東金砂神社境内田楽堂(常陸太田市天下野(けがの)町)
☆祭の様子☆
「嵐除祭」では嵐や災害を取り除き豊作豊漁を祈願をします。
「田楽舞」は国指定選択民俗芸能、茨城県指定無形民俗文化財です。
神事は氏子や日立市水木講中の代表、参拝客が古式ゆかしい祭礼を見守りました。
神事に続き、浜方が東側、陸方が西側の田楽堂の羽目板をぶち抜く年占いも行われました。どちらが早く打ち抜くか。
今年は浜方が先に羽目板を打ち抜き、「浜大漁、陸満作」の申し合わせがなされました。
田楽舞は天孫降臨の故事にちなんでいます。その演目は
「四方固め」・・・・猿田彦が太刀、柄太刀、矛、函払いなどを順に持って四方を固め、天下泰平を祈る舞
「獅子舞」・・・・・・祭神である大国主命の面を付け、獅子を手なずけ(獅子は荒ぶる神を表す)、稲の豊作を祈る所作。獅子が4隅で大口をあけるのは、田の害虫をとって食べる動作を意味している。
「巫女舞」・・・・・・巫女の面をかぶり両手に神楽鈴を持って、前段で活躍した大国主命を慰める舞
「三鬼舞」・・・・・・赤鬼、黒鬼、青鬼が荒々しく振る舞い、護摩もちをさらっていく。
昔、東金砂神社に訪れる参詣者を鬼が悪さをするので住職が諌めると、鬼は「何も食べ物がない」といったので、「それなら猿の餅を食べろ」といった故事にちなんでいる。以降悪さをしなくなったといわれています。
田楽舞の後、神猿が焼いたお餅(割り箸に刺した真っ黒のお餅)をさい銭と交換する参拝客で大賑わい。これにより今年の無病息災を願うものです。
金砂大祭礼(72年に一度開催)では見るのが大変だった「田楽舞」が毎年見られます。
神社名;東金砂神社
日時:平成25年2月11日(月)午前11時〜12時30分
場所:東金砂神社境内田楽堂(常陸太田市天下野(けがの)町)
☆祭の様子☆
「嵐除祭」では嵐や災害を取り除き豊作豊漁を祈願をします。
「田楽舞」は国指定選択民俗芸能、茨城県指定無形民俗文化財です。
神事は氏子や日立市水木講中の代表、参拝客が古式ゆかしい祭礼を見守りました。
神事に続き、浜方が東側、陸方が西側の田楽堂の羽目板をぶち抜く年占いも行われました。どちらが早く打ち抜くか。
今年は浜方が先に羽目板を打ち抜き、「浜大漁、陸満作」の申し合わせがなされました。
田楽舞は天孫降臨の故事にちなんでいます。その演目は
「四方固め」・・・・猿田彦が太刀、柄太刀、矛、函払いなどを順に持って四方を固め、天下泰平を祈る舞
「獅子舞」・・・・・・祭神である大国主命の面を付け、獅子を手なずけ(獅子は荒ぶる神を表す)、稲の豊作を祈る所作。獅子が4隅で大口をあけるのは、田の害虫をとって食べる動作を意味している。
「巫女舞」・・・・・・巫女の面をかぶり両手に神楽鈴を持って、前段で活躍した大国主命を慰める舞
「三鬼舞」・・・・・・赤鬼、黒鬼、青鬼が荒々しく振る舞い、護摩もちをさらっていく。
昔、東金砂神社に訪れる参詣者を鬼が悪さをするので住職が諌めると、鬼は「何も食べ物がない」といったので、「それなら猿の餅を食べろ」といった故事にちなんでいる。以降悪さをしなくなったといわれています。
田楽舞の後、神猿が焼いたお餅(割り箸に刺した真っ黒のお餅)をさい銭と交換する参拝客で大賑わい。これにより今年の無病息災を願うものです。
金砂大祭礼(72年に一度開催)では見るのが大変だった「田楽舞」が毎年見られます。
2013年02月04日
修多羅寺で節分祭
2013年02月04日投稿
修多羅寺節分祭
場 所 :茨城県城里町小勝(おがち)(旧七会村)
開催日 :平成25年2月3日(日)
午前10時30分〜午後12時30分
10時30分〜水行
11時00分〜ご祈祷
12時00分〜豆まき
石碑に開祖「天目上人」のことが刻印されています。
「正安2年(1300年)開山で当初は本門寺と称した。
徳川光圀の時、寺領5石の朱印が与えられ、毘沙門天が寄進され、寺号を修多羅寺と改名。
水戸家武運長久の祈願所となった。」(城里町公式ホームページより)
豆まきは20年ほど前から、水業は15年ほど前から磯野善恵住職がおこなっています。
城里町小勝の「修多羅寺」(磯野善恵住職)で3日、恒例の節分祭が開かれ、住職らが冷水をかぶり身を清める水行が行われました。
「人々の願いを叶え、苦しみを切るため、修行の一つとして命がけで水をかぶり、身を清めます。」
のち本堂でご祈祷、厄払いをしてもらいお札破魔弓を授かり、今年一年の家内安全や無病息災を祈願しました。
修多羅寺節分祭
場 所 :茨城県城里町小勝(おがち)(旧七会村)
開催日 :平成25年2月3日(日)
午前10時30分〜午後12時30分
10時30分〜水行
11時00分〜ご祈祷
12時00分〜豆まき
石碑に開祖「天目上人」のことが刻印されています。
「正安2年(1300年)開山で当初は本門寺と称した。
徳川光圀の時、寺領5石の朱印が与えられ、毘沙門天が寄進され、寺号を修多羅寺と改名。
水戸家武運長久の祈願所となった。」(城里町公式ホームページより)
豆まきは20年ほど前から、水業は15年ほど前から磯野善恵住職がおこなっています。
城里町小勝の「修多羅寺」(磯野善恵住職)で3日、恒例の節分祭が開かれ、住職らが冷水をかぶり身を清める水行が行われました。
「人々の願いを叶え、苦しみを切るため、修行の一つとして命がけで水をかぶり、身を清めます。」
のち本堂でご祈祷、厄払いをしてもらいお札破魔弓を授かり、今年一年の家内安全や無病息災を祈願しました。