2012年04月
2012年04月22日
小生瀬地蔵尊のしだれ桜と手打ちそば(大子町)
小生瀬地蔵尊のしだれ桜と手打ちそば(大子町)
[2012]平成24年4月22日撮影
「小生瀬(こなませ)地蔵尊のしだれ桜」の案内板に沿って子安地蔵尊にゆくと、見事な枝垂れ桜が地区の人々によって保存され、夜にはライトアップされている様子、八分咲きでこれから見頃に入ります。
場所:大子町小生瀬4050
樹高:約10m 目通り幹廻り約3.3m
4月22日地区の花見が行われるということで、有志がそばを打っていました。
桜を見る人に無料でふるまうというありがたいお話でした。
案内掲示から
「小生瀬のしだれ桜
この小高い丘に広大な寺屋敷があり、竜骨が秘蔵されたという伝説がある。
八竜山地福寺の寺跡がある。
現在寺跡に地域有志により子安地蔵堂が祀ってある。
その片隅に老木しだれ桜があり、推定樹齢は約500有余年、中央部が朽ち果て無残な姿ではあるが四方に伸びる枝は隆々と逞しく、地域の有志が支柱を施して管理している。
弥生の空に紅白色の花が見事に爛漫と謳歌し飾らず誇らず唯己の生命の尊さを信じて咲き乱れ何と偉大な花の姿でしょう。
時は流れ世は変われども、艱難風雪に耐え逞しい生命力を讃え生きている化石として何時までも生き続けることを希う。
平成16年12月 生瀬地区文化体育振興会」
[2012]平成24年4月22日撮影
「小生瀬(こなませ)地蔵尊のしだれ桜」の案内板に沿って子安地蔵尊にゆくと、見事な枝垂れ桜が地区の人々によって保存され、夜にはライトアップされている様子、八分咲きでこれから見頃に入ります。
場所:大子町小生瀬4050
樹高:約10m 目通り幹廻り約3.3m
4月22日地区の花見が行われるということで、有志がそばを打っていました。
桜を見る人に無料でふるまうというありがたいお話でした。
案内掲示から
「小生瀬のしだれ桜
この小高い丘に広大な寺屋敷があり、竜骨が秘蔵されたという伝説がある。
八竜山地福寺の寺跡がある。
現在寺跡に地域有志により子安地蔵堂が祀ってある。
その片隅に老木しだれ桜があり、推定樹齢は約500有余年、中央部が朽ち果て無残な姿ではあるが四方に伸びる枝は隆々と逞しく、地域の有志が支柱を施して管理している。
弥生の空に紅白色の花が見事に爛漫と謳歌し飾らず誇らず唯己の生命の尊さを信じて咲き乱れ何と偉大な花の姿でしょう。
時は流れ世は変われども、艱難風雪に耐え逞しい生命力を讃え生きている化石として何時までも生き続けることを希う。
平成16年12月 生瀬地区文化体育振興会」
2012年04月13日
雨引観音でマダラ鬼神祭が行われました。
祭り名;マダラ鬼神祭
寺院名;雨引山楽法寺(雨引観音)
場 所 :茨城県桜川市木本
開催日 :[2012]平成24年04月08日(日)午前11時〜午後12時00分
天 候 :晴れ 暖かい 桜ソメイヨシノはまだ未開花、河津桜が8分咲き
○マダラ鬼神登場
午前11時になると楼門から行列が石段を登りはじめます。
行列の順序
1.僧侶1人
2.金棒持ち2人
3.ほら貝1人
4.けん族といわれる白鬼、赤鬼、茶鬼、緑鬼、紫鬼が手に松明を持って石段をのぼり、結界を通過後本堂に上がります。
5.のぼり2本
6.稚児(女子)5人。かわいい稚児たちも無事に石段を登りきり、多宝塔前にお座りしました。
7.ドラと鉦2人
8.寺侍15人
9.カゴ4人
10.行列が登りきったあとマダラ鬼神が石段を登り、境内の結界に入ります。
○柴燈護摩供養
竹矢来の内側には、柴燈護摩壇がすえられ、そのまわりに檀家の人々や鬼神が並びます。
導師の続経の声、檀家代表のあいさつ、太鼓の響き、導師が抜刀してお祓い、護摩壇に点火、白煙もくもく、燃え盛る炎に塩をまいて供養、檀家の人々のお参り、護摩木を炊くなどの所作が行われました。
この所作には厄除け、悪魔祓い、招福の願いが込められています。
○鬼踊り
護摩祈祷が終ると、導師、僧侶は本堂へ。
摩多羅鬼神と赤鬼、白鬼など5人の眷属(けんぞく)は護摩壇の周りに位置取りし、手に持った松明に護摩壇の火を採火します。
この火のついた松明を振りかざしながら踊るわけですが、その動作は斧で木を切る動作を模しています。
摩多羅鬼神が「ドム」、鬼は「ホイ」と掛け声をかけながら、松明を振り上げ振り下ろし木を切る所作を行います。(「アバラーとも言っているようですが良くわからない鬼語です。)
1回の動作が終ると60度移動し、同じ動作を行います。
これを3回180度の動作で踊りは終わり、松明を消して本堂へあがります。
○破魔矢
この祭りのクライマックスはやはり朱塗りの本堂の回廊から摩多羅鬼神たちが放つ破魔矢。
四苦を意味する49本の破魔矢を観客の頭上高く弓を引き放ちます。
鬼が5人と摩多羅鬼神 合わせて6人×8本=48本。残る1本は摩多羅鬼神が最後に放ちます。
破魔矢を拾って持ち帰ると無病息災、家内安全に御利益があるとされ、人々は競い合ってこの破魔矢を拾うことに力を注ぎます。
寺院名;雨引山楽法寺(雨引観音)
場 所 :茨城県桜川市木本
開催日 :[2012]平成24年04月08日(日)午前11時〜午後12時00分
天 候 :晴れ 暖かい 桜ソメイヨシノはまだ未開花、河津桜が8分咲き
○マダラ鬼神登場
午前11時になると楼門から行列が石段を登りはじめます。
行列の順序
1.僧侶1人
2.金棒持ち2人
3.ほら貝1人
4.けん族といわれる白鬼、赤鬼、茶鬼、緑鬼、紫鬼が手に松明を持って石段をのぼり、結界を通過後本堂に上がります。
5.のぼり2本
6.稚児(女子)5人。かわいい稚児たちも無事に石段を登りきり、多宝塔前にお座りしました。
7.ドラと鉦2人
8.寺侍15人
9.カゴ4人
10.行列が登りきったあとマダラ鬼神が石段を登り、境内の結界に入ります。
○柴燈護摩供養
竹矢来の内側には、柴燈護摩壇がすえられ、そのまわりに檀家の人々や鬼神が並びます。
導師の続経の声、檀家代表のあいさつ、太鼓の響き、導師が抜刀してお祓い、護摩壇に点火、白煙もくもく、燃え盛る炎に塩をまいて供養、檀家の人々のお参り、護摩木を炊くなどの所作が行われました。
この所作には厄除け、悪魔祓い、招福の願いが込められています。
○鬼踊り
護摩祈祷が終ると、導師、僧侶は本堂へ。
摩多羅鬼神と赤鬼、白鬼など5人の眷属(けんぞく)は護摩壇の周りに位置取りし、手に持った松明に護摩壇の火を採火します。
この火のついた松明を振りかざしながら踊るわけですが、その動作は斧で木を切る動作を模しています。
摩多羅鬼神が「ドム」、鬼は「ホイ」と掛け声をかけながら、松明を振り上げ振り下ろし木を切る所作を行います。(「アバラーとも言っているようですが良くわからない鬼語です。)
1回の動作が終ると60度移動し、同じ動作を行います。
これを3回180度の動作で踊りは終わり、松明を消して本堂へあがります。
○破魔矢
この祭りのクライマックスはやはり朱塗りの本堂の回廊から摩多羅鬼神たちが放つ破魔矢。
四苦を意味する49本の破魔矢を観客の頭上高く弓を引き放ちます。
鬼が5人と摩多羅鬼神 合わせて6人×8本=48本。残る1本は摩多羅鬼神が最後に放ちます。
破魔矢を拾って持ち帰ると無病息災、家内安全に御利益があるとされ、人々は競い合ってこの破魔矢を拾うことに力を注ぎます。
2012年04月10日
2012年04月09日
額田南郷の阿弥陀寺の枝垂れ桜が1分咲き
那珂市額田南郷の阿弥陀寺の枝垂れ桜(20101-4-9撮影)
2012年は4月9日1分咲き(満開予想12日)
2009年は4月6日頃に満開でした。
2008年は4月7日頃に満開でした。
3・11東日本大震災で倒れた石灯籠はすでに修復されているものの、ご本尊の修復はまだ出来ていないということでした。
石碑に刻まれている「しだれ桜由来」によると
このしだれ桜は元禄11年(1698)に徳川光圀公により植樹されたと伝えられているので樹齢は312年になります。
親鸞聖人御創建 二十四輩本蹟十四番阿弥陀寺
大山禅房 阿弥陀寺
〒311-0107
茨城県那珂市額田南郷375
TEL:029-298-7505
駐車場有り
「額田南郷にある浄土真宗の寺、開祖は親鸞上人の弟子二十四輩第十四番とされる定信で、建保5年(1217)に初めは大山(桂村)に建立されました。
明徳3年(1392)に額田城主小野崎徒通の懇願により、額田城内堀の内に移し、額田城の守護寺となりました。
その後佐竹氏の秋田移封にともなって小野崎氏とともに秋田に移ったが、まもなく帰国し額田の旧地に再興、元治元年(1864)に天狗党の乱の兵火により消失、本尊である阿弥陀如来仏は県指定文化財になっています。」(那珂市観光協会HPより)
2012年は4月9日1分咲き(満開予想12日)
2009年は4月6日頃に満開でした。
2008年は4月7日頃に満開でした。
3・11東日本大震災で倒れた石灯籠はすでに修復されているものの、ご本尊の修復はまだ出来ていないということでした。
石碑に刻まれている「しだれ桜由来」によると
このしだれ桜は元禄11年(1698)に徳川光圀公により植樹されたと伝えられているので樹齢は312年になります。
親鸞聖人御創建 二十四輩本蹟十四番阿弥陀寺
大山禅房 阿弥陀寺
〒311-0107
茨城県那珂市額田南郷375
TEL:029-298-7505
駐車場有り
「額田南郷にある浄土真宗の寺、開祖は親鸞上人の弟子二十四輩第十四番とされる定信で、建保5年(1217)に初めは大山(桂村)に建立されました。
明徳3年(1392)に額田城主小野崎徒通の懇願により、額田城内堀の内に移し、額田城の守護寺となりました。
その後佐竹氏の秋田移封にともなって小野崎氏とともに秋田に移ったが、まもなく帰国し額田の旧地に再興、元治元年(1864)に天狗党の乱の兵火により消失、本尊である阿弥陀如来仏は県指定文化財になっています。」(那珂市観光協会HPより)
2012年04月06日
河津桜が咲いています〜日立おさかなセンター近く〜工事で切られる
2012年04月06日撮影
河津桜が開花〜日立おさかなセンター近く
日立おさかなセンターとウェルサンピア日立との間で桜が咲いています。八分咲き。
瀬上川沿いに10本あるうちの東側の5本・河津桜が満開、さらに西側の5本・修善寺寒桜?も開花しました。
現在瀬上川護岸修復工事のために桜の枝はツンツルテンに切りつめられていて、かわいそう。
工事の大型クレーンなどの邪魔になるとはいえ、切断しない配慮が欲しいものです。
ウェルサンピア日立の囲いの樹木は津波の塩水によりほとんど枯れていて、この河津桜も枯れるかと心配し、今年は咲くのが遅いので枯れてしまったかと思って3月23日に観察した頃は、ツボミがふくらみつつあって、よくぞ生き残ったねと安心していた矢先に工事のためとはいえ枝を切りつめられてしまいました。
「西側の5本は修善寺寒桜」かどうか不明
4月12日の観測では河津桜は散り始め、西の修善寺寒桜3本はピンク色に開花、残り2本は白い花がチラホラ、種類が違うようです、よくわからない。
本ブログの記録では
平成24年4月06日八分咲き・・冬の寒さが厳しく全国的に遅い
平成23年3月31日散り始め
平成21年3月19日ほぼ満開
平成20年3月21日開花
平成19年3月11日ほぼ満開
もともとこの広場は久慈川の河口であって、35年くらい前は久慈川の中州でアサリを採ったり、キャンプ、水泳などの思い出があります。
高度経済成長期に埋め建てられて広大な陸地になり日立港が造成されました。
当時「埋め立て絶対反対」の看板が林立するなかに、沖合からサンドポンプで海底の砂を運んで埋め立てしていたのを、通勤の途中見た記憶があります。
河津桜が開花〜日立おさかなセンター近く
日立おさかなセンターとウェルサンピア日立との間で桜が咲いています。八分咲き。
瀬上川沿いに10本あるうちの東側の5本・河津桜が満開、さらに西側の5本・修善寺寒桜?も開花しました。
現在瀬上川護岸修復工事のために桜の枝はツンツルテンに切りつめられていて、かわいそう。
工事の大型クレーンなどの邪魔になるとはいえ、切断しない配慮が欲しいものです。
ウェルサンピア日立の囲いの樹木は津波の塩水によりほとんど枯れていて、この河津桜も枯れるかと心配し、今年は咲くのが遅いので枯れてしまったかと思って3月23日に観察した頃は、ツボミがふくらみつつあって、よくぞ生き残ったねと安心していた矢先に工事のためとはいえ枝を切りつめられてしまいました。
「西側の5本は修善寺寒桜」かどうか不明
4月12日の観測では河津桜は散り始め、西の修善寺寒桜3本はピンク色に開花、残り2本は白い花がチラホラ、種類が違うようです、よくわからない。
本ブログの記録では
平成24年4月06日八分咲き・・冬の寒さが厳しく全国的に遅い
平成23年3月31日散り始め
平成21年3月19日ほぼ満開
平成20年3月21日開花
平成19年3月11日ほぼ満開
もともとこの広場は久慈川の河口であって、35年くらい前は久慈川の中州でアサリを採ったり、キャンプ、水泳などの思い出があります。
高度経済成長期に埋め建てられて広大な陸地になり日立港が造成されました。
当時「埋め立て絶対反対」の看板が林立するなかに、沖合からサンドポンプで海底の砂を運んで埋め立てしていたのを、通勤の途中見た記憶があります。