2012年03月
2012年03月30日
北茨城復興祭が開催される
[日時][2012]平成24年3月25日(日)9:00〜17:00
[場所]五浦観光ホテル別館大観荘
茨城県北茨城市大津町722
[目的]東日本大震災で被災した町を活性化し元気に
〜100年先への第一歩〜
東日本大震災により甚大な被害を被った北茨城市の復興に向けて、みんなではじめる、つながる、たのしむ、あゆむ
たくさんのイベントが用意され、2000人の人たちが集い交流を楽しんでいました。
○きたいば福幸(ふっこう)商店街
平潟魚港、大津漁港の水産加工業者が、干物やさつま揚げなどを販売するブースを設けました。「マイワシの干物」「いかげそ揚げ」「佃煮類」「イカの塩辛」、「あんこう揚げ」・・あんこうの魚肉を材料にしたさつま揚げ、珍品、どぶろく特区の「どぶろく」・・・
買ったのは「紅生姜揚げ」白身魚の加工品、ピンク色をしてきれい、温めて食べるとおいしい。「かき揚げ」
・・・
○太平洋眺望露天風呂「大観の湯」1日無料開放
○きたいば特産品&スィーツ無料配布
・など
・
○庭のテントでの販売は
「福幸弁当」・・地元の魚介類が調理されている。
「アンコウカレー&ナン」・・普通はアンコウ汁だが、アンコウの入ったカレーは新発売か
○平潟魚港では、福島原発事故による放射能で出漁できないため、船の手入れだけ、網の手入れだけしています。
エンジンを止めたままでは、スクリューに貝が付着したり油が落ちてさびる可能性があるため、ときにはエンジンをかけて調子を見たり・・・・。
[場所]五浦観光ホテル別館大観荘
茨城県北茨城市大津町722
[目的]東日本大震災で被災した町を活性化し元気に
〜100年先への第一歩〜
東日本大震災により甚大な被害を被った北茨城市の復興に向けて、みんなではじめる、つながる、たのしむ、あゆむ
たくさんのイベントが用意され、2000人の人たちが集い交流を楽しんでいました。
○きたいば福幸(ふっこう)商店街
平潟魚港、大津漁港の水産加工業者が、干物やさつま揚げなどを販売するブースを設けました。「マイワシの干物」「いかげそ揚げ」「佃煮類」「イカの塩辛」、「あんこう揚げ」・・あんこうの魚肉を材料にしたさつま揚げ、珍品、どぶろく特区の「どぶろく」・・・
買ったのは「紅生姜揚げ」白身魚の加工品、ピンク色をしてきれい、温めて食べるとおいしい。「かき揚げ」
・・・
○太平洋眺望露天風呂「大観の湯」1日無料開放
○きたいば特産品&スィーツ無料配布
・など
・
○庭のテントでの販売は
「福幸弁当」・・地元の魚介類が調理されている。
「アンコウカレー&ナン」・・普通はアンコウ汁だが、アンコウの入ったカレーは新発売か
○平潟魚港では、福島原発事故による放射能で出漁できないため、船の手入れだけ、網の手入れだけしています。
エンジンを止めたままでは、スクリューに貝が付着したり油が落ちてさびる可能性があるため、ときにはエンジンをかけて調子を見たり・・・・。
2012年03月29日
大洗春祭り海楽フェスタ
[日時][2012]平成24年3月25日(日)10:00〜15:00
[場所]大洗マリンタワー前広場
[目的]町の元気をアピール
3・11東日本大震災による大津波で甚大な被害を被った大洗町で、町民を元気づけるイベントが開催され、大勢の人たちでにぎわっていました。
・・・
10:20・・磯囃子会
10:40・・復興記念アート
・・・
11:00・・カジキ解体ショー
12:00・・ごじゃっぺプロレス
・・
14:10・・大洗高校ブルーホークス演奏
・・
この種のイベントでは美味しい食べ物がたくさんあり、どれを食べようか迷うところですが、あんこう汁とたこ飯をたべお腹いっぱい。アジ、イワシの干物をお土産に買い求めました。
[場所]大洗マリンタワー前広場
[目的]町の元気をアピール
3・11東日本大震災による大津波で甚大な被害を被った大洗町で、町民を元気づけるイベントが開催され、大勢の人たちでにぎわっていました。
・・・
10:20・・磯囃子会
10:40・・復興記念アート
・・・
11:00・・カジキ解体ショー
12:00・・ごじゃっぺプロレス
・・
14:10・・大洗高校ブルーホークス演奏
・・
この種のイベントでは美味しい食べ物がたくさんあり、どれを食べようか迷うところですが、あんこう汁とたこ飯をたべお腹いっぱい。アジ、イワシの干物をお土産に買い求めました。
2012年03月27日
2012年03月18日
2012年03月15日
浪江町「なみえ3・11復興のつどい」(1)請戸の田植踊り
[日時][2012]平成24年3月11日(日)9:30〜16:00
[場所]二本松市安達文化ホール・同広場
二本松市油井字濡石1-2
震災から1年、浪江町民みんなが故郷を離れて迎える「3.11」は特別意味を持ちます。
一つは、3・11大震災によって亡くなられた方々への追悼の日です。
二つは、この1年を振り返り、さらに明日へ向かって進む一歩となる絆の確認の日です。
町民の心を一つに紡ぐため、全国に避難している多くの人たちが集まり、さまざまなイベントが開催され交流を深めました。
浪江町の震災被害死者182人、行方不明2人。
田植踊りの早乙女を踊る紗彩(さあや)さんの父親・潤也さん(36才・請戸獅子舞の一員)は、消防団活動で最後まで浪江町民を救助しつつ行方不明です。
家族は心に区切りをつけるため昨日(10日)、特別な思いで潤也さんの葬儀を行いました。
紗彩は今日も美しく踊ります。
田植踊りの中打ちとして太鼓を打ちながら踊る和佳奈さんは、大好きだったお爺ちゃんお婆ちゃんを亡くしました、そのこころの思いを綴ります。
伝統を受け継ぐ・横山和佳奈
「(2011)8月21日、私にとって忘れられない日になりました。
この日、私はいわき市小名浜のアクアマリンふくしまで、浪江町請戸地区に伝わる伝統芸能「請戸の田植踊」を踊りました。
会場には県内外に避難している浪江町内の人々が見に来てくれました。
中には、涙を流して見ていた人もいました。
私自身も請戸を思い出し、涙をこらえながら踊りました。
あの3月11日、学校にいた私は、帰りの準備をしているところでした。
地震で机の中にもぐっていると、机ごと30センチくらい飛ばされました。
地震がおさまり、外に避難し、全校生徒の人数を確認し、津波が来るということですぐに大平山という山に走って逃げました。
やっとたどり着いた避難所で、「請戸地区」は全滅した」と聞き、すごく悲しくなりました。
次の日、請戸に帰ろうと思っていると、「原発が危ないから、一応逃げろ、浪江町から出ろ!」といわれ、みんな、「明日にでも帰れるだろう」という気持ちで「津島」という所に避難しました。
今考えれば、放射能の数値が特に高い所に避難し、そこで炊き出しをしたご飯を食べたなんて、とても恐ろしい事です。
その後、私は郡山の親戚の家へ避難。さらに原発から逃げるように東京へと避難しました。
このように、安全な場所を探して、浪江町の人々は日本全国にバラバラになってしまいました。
あの日を境に同じ請戸小学校だった友達とも地域の人達とも会う事ができなくなってしまいました。
今年(2011)2月に行われた海の安全を祈願する安波祭りからわずか数週間後の出来事でした。
この日、私は地域の人や家族の人に見てもらうために、田植踊の練習を頑張ってきました。
当日もたくさんの人達が見に来てくれました。
安波祭とは、豊漁を願う祭りで、みこしも出ます。みこしは各家庭を周り、最後に海に入ります。
私たち踊り子も各家庭を周り、最後に浜に出て踊ります。
こうして毎年大きな事故もなく、漁を行うことが出来ていました。
しかし今年(2011)は大震災の津波で私は家族や家などをすべてなくしました。
一緒に踊った踊り子たちも同じです。
今年(2011)の2月も皆で祈願したのに本当に悔しいです。
私の請戸には、もう何も無いと思っていたところに、伝統を絶やしてはいけないと、さまざまな人達が立ち上がって下さり、8月21日にアクアマリンで復興公演を行うことになったのです。
それを機に、離ればなれになっていた友達とも会うことができました。
田植踊りがあったからこそ友達との絆をより深められたのです。
そしてこのように導いてくれたのは、津波でなくなったじいちゃんが神様を大事にしていたからかもしれないと思いました。
請戸のためにも、津波で犠牲になった方々のためにも、私は伝統を引き継いでいきたいと思います。」
我々年寄りは過去を悔やみ涙するばかりだが、こどもたちがすでに希望を持って伝統を引き継いで生きていこうとしていることがうれしい。我々も明日に向かって進んでいかねば。
[場所]二本松市安達文化ホール・同広場
二本松市油井字濡石1-2
震災から1年、浪江町民みんなが故郷を離れて迎える「3.11」は特別意味を持ちます。
一つは、3・11大震災によって亡くなられた方々への追悼の日です。
二つは、この1年を振り返り、さらに明日へ向かって進む一歩となる絆の確認の日です。
町民の心を一つに紡ぐため、全国に避難している多くの人たちが集まり、さまざまなイベントが開催され交流を深めました。
浪江町の震災被害死者182人、行方不明2人。
田植踊りの早乙女を踊る紗彩(さあや)さんの父親・潤也さん(36才・請戸獅子舞の一員)は、消防団活動で最後まで浪江町民を救助しつつ行方不明です。
家族は心に区切りをつけるため昨日(10日)、特別な思いで潤也さんの葬儀を行いました。
紗彩は今日も美しく踊ります。
田植踊りの中打ちとして太鼓を打ちながら踊る和佳奈さんは、大好きだったお爺ちゃんお婆ちゃんを亡くしました、そのこころの思いを綴ります。
伝統を受け継ぐ・横山和佳奈
「(2011)8月21日、私にとって忘れられない日になりました。
この日、私はいわき市小名浜のアクアマリンふくしまで、浪江町請戸地区に伝わる伝統芸能「請戸の田植踊」を踊りました。
会場には県内外に避難している浪江町内の人々が見に来てくれました。
中には、涙を流して見ていた人もいました。
私自身も請戸を思い出し、涙をこらえながら踊りました。
あの3月11日、学校にいた私は、帰りの準備をしているところでした。
地震で机の中にもぐっていると、机ごと30センチくらい飛ばされました。
地震がおさまり、外に避難し、全校生徒の人数を確認し、津波が来るということですぐに大平山という山に走って逃げました。
やっとたどり着いた避難所で、「請戸地区」は全滅した」と聞き、すごく悲しくなりました。
次の日、請戸に帰ろうと思っていると、「原発が危ないから、一応逃げろ、浪江町から出ろ!」といわれ、みんな、「明日にでも帰れるだろう」という気持ちで「津島」という所に避難しました。
今考えれば、放射能の数値が特に高い所に避難し、そこで炊き出しをしたご飯を食べたなんて、とても恐ろしい事です。
その後、私は郡山の親戚の家へ避難。さらに原発から逃げるように東京へと避難しました。
このように、安全な場所を探して、浪江町の人々は日本全国にバラバラになってしまいました。
あの日を境に同じ請戸小学校だった友達とも地域の人達とも会う事ができなくなってしまいました。
今年(2011)2月に行われた海の安全を祈願する安波祭りからわずか数週間後の出来事でした。
この日、私は地域の人や家族の人に見てもらうために、田植踊の練習を頑張ってきました。
当日もたくさんの人達が見に来てくれました。
安波祭とは、豊漁を願う祭りで、みこしも出ます。みこしは各家庭を周り、最後に海に入ります。
私たち踊り子も各家庭を周り、最後に浜に出て踊ります。
こうして毎年大きな事故もなく、漁を行うことが出来ていました。
しかし今年(2011)は大震災の津波で私は家族や家などをすべてなくしました。
一緒に踊った踊り子たちも同じです。
今年(2011)の2月も皆で祈願したのに本当に悔しいです。
私の請戸には、もう何も無いと思っていたところに、伝統を絶やしてはいけないと、さまざまな人達が立ち上がって下さり、8月21日にアクアマリンで復興公演を行うことになったのです。
それを機に、離ればなれになっていた友達とも会うことができました。
田植踊りがあったからこそ友達との絆をより深められたのです。
そしてこのように導いてくれたのは、津波でなくなったじいちゃんが神様を大事にしていたからかもしれないと思いました。
請戸のためにも、津波で犠牲になった方々のためにも、私は伝統を引き継いでいきたいと思います。」
我々年寄りは過去を悔やみ涙するばかりだが、こどもたちがすでに希望を持って伝統を引き継いで生きていこうとしていることがうれしい。我々も明日に向かって進んでいかねば。
浪江町「なみえ3・11復興のつどい」(5)支援物資配布 握り地蔵尊
[日時][2012]平成24年3月11日(日)9:30〜16:00
[場所]二本松市安達文化ホール・同広場
二本松市油井字濡石1-2
東日本大震災1周年追悼式で天皇陛下のお言葉
「・・・さらにこの震災のため原子力発電所の事故が発生したことにより、危険な区域に住む人々は住み慣れた、そして生活の場としていた地域から離れざるを得なくなりました。再びそこに安全に住むためには放射能の問題を克服しなければならないという困難な問題が起こっています・・・」
全国の皆さんから届けられた支援物資がたくさん和室に並べられ、サイズや色などを確認しながら持ち帰ってもらいました。
茨城県常陸太田市のNPO「おたがいさま」只野代表は、地域から集まった支援物資(毛布、こたつがけ、タオル、握り地蔵尊など)を会場でお配りしました。
握り地蔵尊は水戸市在住の保科さんが自ら手作りした地蔵様です。
こめられた保坂さんの思い
「・・・犠牲者の慰霊と鎮魂、残された方々のお気持ちのお慰めになればと思い一握り一握りにありったけの気持ちを込めました。」
お地蔵様が、深い悲しみ大きな苦しみを背負ってくださいます。
[場所]二本松市安達文化ホール・同広場
二本松市油井字濡石1-2
東日本大震災1周年追悼式で天皇陛下のお言葉
「・・・さらにこの震災のため原子力発電所の事故が発生したことにより、危険な区域に住む人々は住み慣れた、そして生活の場としていた地域から離れざるを得なくなりました。再びそこに安全に住むためには放射能の問題を克服しなければならないという困難な問題が起こっています・・・」
全国の皆さんから届けられた支援物資がたくさん和室に並べられ、サイズや色などを確認しながら持ち帰ってもらいました。
茨城県常陸太田市のNPO「おたがいさま」只野代表は、地域から集まった支援物資(毛布、こたつがけ、タオル、握り地蔵尊など)を会場でお配りしました。
握り地蔵尊は水戸市在住の保科さんが自ら手作りした地蔵様です。
こめられた保坂さんの思い
「・・・犠牲者の慰霊と鎮魂、残された方々のお気持ちのお慰めになればと思い一握り一握りにありったけの気持ちを込めました。」
お地蔵様が、深い悲しみ大きな苦しみを背負ってくださいます。
2012年03月14日
浪江町「なみえ3・11復興のつどい」(4)B級ご当地グルメがおいしい
[日時][2012]平成24年3月11日(日)9:30〜16:00
[場所]二本松市安達文化ホール・同広場
二本松市油井字濡石1-2
B級ご当地グルメの有名どころが会場に集結し、訪れる人たちに格安で振舞いました。皆さんに元気を!
1.福島県なみえ焼きそば
えぇー?これが焼きそば?と聞き返すほど太い麺がもちもち、豚肉・もやしに甘めのソースで人気。うまかった。
やはり地元の味が恋しいのか行列が一番長かった。
2.岡山県 津山ホルモンうどん
ホルモンの甘みが独特のコク。これもうまかった。
3.秋田県 横手やきそば
トッピングの目玉焼きと福神漬けの付け合せが定番
4.青森県 八戸せんべい
せんべい汁用の南部煎餅を醤油味で煮たてた汁物!
5.青森県 十和田バラ焼き
大量のタマネギと牛ばら肉で熱々の鉄板焼き、白いご飯との相性が抜群、これもうまかった。
[場所]二本松市安達文化ホール・同広場
二本松市油井字濡石1-2
B級ご当地グルメの有名どころが会場に集結し、訪れる人たちに格安で振舞いました。皆さんに元気を!
1.福島県なみえ焼きそば
えぇー?これが焼きそば?と聞き返すほど太い麺がもちもち、豚肉・もやしに甘めのソースで人気。うまかった。
やはり地元の味が恋しいのか行列が一番長かった。
2.岡山県 津山ホルモンうどん
ホルモンの甘みが独特のコク。これもうまかった。
3.秋田県 横手やきそば
トッピングの目玉焼きと福神漬けの付け合せが定番
4.青森県 八戸せんべい
せんべい汁用の南部煎餅を醤油味で煮たてた汁物!
5.青森県 十和田バラ焼き
大量のタマネギと牛ばら肉で熱々の鉄板焼き、白いご飯との相性が抜群、これもうまかった。
浪江町「なみえ3・11復興のつどい」(3)歌声喫茶ともしび
[日時][2012]平成24年3月11日(日)9:30〜16:00
[場所]二本松市安達文化ホール・同広場
二本松市油井字濡石1-2
天変地異による3・11東日本大震災のいかなる困難・理不尽があろうとも、私たちは明日の希望を信じて生きてゆく。
人の為した原発事故、放射能汚染の悪事・不作為には怒りをぶっつける。ホールに集まった人たちはコブシを突き上げつつ歌います。
1.手のひらを太陽に・・ぼくらはみんな 生きている♪生きているから 歌うんだ♪
2.北国の春・・あのふるさとへ帰ろかな♪ 帰ろかな♪・・・帰れない理不尽に怒り!
3.ビリーブ・・たとえば君が♪傷ついて♪くじけそうに♪なった時は♪かならずぼくが♪そばにいて♪ささえてあげるよ♪その肩を♪
4.青春・・ふるさとに帰りたい。除洗を早く
5.カチューシャ・・
6.ともしび・・
7.私の愛した街・・浪江が恋しい
8.明日という日が・・大空を 見上げて ごらん♪/いっしょうけんめい♪生きること/あすと いう日が♪あるかぎりしあわせを 信じて
9.つばさをください・・飛んで浪江に帰りたい!
[場所]二本松市安達文化ホール・同広場
二本松市油井字濡石1-2
天変地異による3・11東日本大震災のいかなる困難・理不尽があろうとも、私たちは明日の希望を信じて生きてゆく。
人の為した原発事故、放射能汚染の悪事・不作為には怒りをぶっつける。ホールに集まった人たちはコブシを突き上げつつ歌います。
1.手のひらを太陽に・・ぼくらはみんな 生きている♪生きているから 歌うんだ♪
2.北国の春・・あのふるさとへ帰ろかな♪ 帰ろかな♪・・・帰れない理不尽に怒り!
3.ビリーブ・・たとえば君が♪傷ついて♪くじけそうに♪なった時は♪かならずぼくが♪そばにいて♪ささえてあげるよ♪その肩を♪
4.青春・・ふるさとに帰りたい。除洗を早く
5.カチューシャ・・
6.ともしび・・
7.私の愛した街・・浪江が恋しい
8.明日という日が・・大空を 見上げて ごらん♪/いっしょうけんめい♪生きること/あすと いう日が♪あるかぎりしあわせを 信じて
9.つばさをください・・飛んで浪江に帰りたい!
2012年03月13日
浪江町「なみえ3・11復興のつどい」(2)交流の集い
[日時][2012]平成24年3月11日(日)9:30〜16:00
[場所]二本松市安達文化ホール・同広場
二本松市油井字濡石1-2
地震、津波、原発、放射能・・・
避難、死、不明、別離、悲しみ、涙、無念、泣き続ける、悲惨、つらい、流浪、忘れることはできねえっす、途方にくれる、愛する人、抱きしめてやる・・・
慰霊、冥福、読経、黙祷・・・
支援、復興、願い、忘れない、負けねえっす、こころの整理、希望、ふるさと、再会・・・
望郷:千葉から、埼玉から、北茨城から、仙台から、いわきから、郡山から・・・多くの人々が集まって・・・一年ぶりに会えたのか、抱き合うようにお話する人たち、お互いの安否を語る人たち、携帯番号を交換する人たち・・・
[場所]二本松市安達文化ホール・同広場
二本松市油井字濡石1-2
地震、津波、原発、放射能・・・
避難、死、不明、別離、悲しみ、涙、無念、泣き続ける、悲惨、つらい、流浪、忘れることはできねえっす、途方にくれる、愛する人、抱きしめてやる・・・
慰霊、冥福、読経、黙祷・・・
支援、復興、願い、忘れない、負けねえっす、こころの整理、希望、ふるさと、再会・・・
望郷:千葉から、埼玉から、北茨城から、仙台から、いわきから、郡山から・・・多くの人々が集まって・・・一年ぶりに会えたのか、抱き合うようにお話する人たち、お互いの安否を語る人たち、携帯番号を交換する人たち・・・
2012年03月05日
第五回大子町 百段階段でひな祭り 名物はりんごとシャモ肉
第五回大子町 百段階段でひな祭り
[日時](2012)平成24年3月3日(土)10:00〜15:00
[場所]大子町本通り[十二所神社百段階段]
まだ雪が消え残る大子町、晴れてはいても雪をわたる風は冷たいまま。
でも人口2万人の町に、1万4000人のお客様が訪れ、町中熱い一日になりました。
このひな祭りは大子町商工会女性部が地域お越しの一つとして始めた事業で、このお客さんの多さは、ねらい通り事業の成功を物語っています。
町中の出店では
アップルパイ、甘いのとシナモンの香りの2種が販売されています。
買ったのはシナモンのアップルパイ・・・美味しかった。
手作りアップルケーキ、りんごジャム、りんご饅頭・・・
シャモ肉のから揚げ、シャモ入り弁当・・・
シャモ玉焼きそば??? シャモの卵がのかった焼きそば、シャモの卵はほんのりとピンク色をして、黄身が濃厚だそうです。
[日時](2012)平成24年3月3日(土)10:00〜15:00
[場所]大子町本通り[十二所神社百段階段]
まだ雪が消え残る大子町、晴れてはいても雪をわたる風は冷たいまま。
でも人口2万人の町に、1万4000人のお客様が訪れ、町中熱い一日になりました。
このひな祭りは大子町商工会女性部が地域お越しの一つとして始めた事業で、このお客さんの多さは、ねらい通り事業の成功を物語っています。
町中の出店では
アップルパイ、甘いのとシナモンの香りの2種が販売されています。
買ったのはシナモンのアップルパイ・・・美味しかった。
手作りアップルケーキ、りんごジャム、りんご饅頭・・・
シャモ肉のから揚げ、シャモ入り弁当・・・
シャモ玉焼きそば??? シャモの卵がのかった焼きそば、シャモの卵はほんのりとピンク色をして、黄身が濃厚だそうです。
2012年03月04日
第五回大子町 百段階段でひな祭り レトロな町並み
第五回大子町 百段階段でひな祭り
[日時](2012)平成24年3月3日(土)10:00〜15:00
[場所]大子町本通り[十二所神社百段階段]
まだ雪が消え残る大子町、晴れてはいても雪をわたる風は冷たいまま。
でも人口2万人の町に、1万4000人のお客様が訪れ、町中熱い一日になりました。
このひな祭りは大子町商工会女性部が地域お越しの一つとして始めた事業で、このお客さんの多さは、ねらい通り事業の成功を物語っています。
大子町本通りには古い蔵や看板建築などが残され、レトロな町並みを形成しています。
昭和26年製の丸胴型の郵便ポストがいたるところに立っています。
最近まるで見たことのない亀の子タワシが販売されています。
八溝味噌を売る看板建築のみそ屋の店先には、今流行りの塩麹を求めるお客で満杯です。
太いハリに「盗賊除」のお札が貼られています。
[日時](2012)平成24年3月3日(土)10:00〜15:00
[場所]大子町本通り[十二所神社百段階段]
まだ雪が消え残る大子町、晴れてはいても雪をわたる風は冷たいまま。
でも人口2万人の町に、1万4000人のお客様が訪れ、町中熱い一日になりました。
このひな祭りは大子町商工会女性部が地域お越しの一つとして始めた事業で、このお客さんの多さは、ねらい通り事業の成功を物語っています。
大子町本通りには古い蔵や看板建築などが残され、レトロな町並みを形成しています。
昭和26年製の丸胴型の郵便ポストがいたるところに立っています。
最近まるで見たことのない亀の子タワシが販売されています。
八溝味噌を売る看板建築のみそ屋の店先には、今流行りの塩麹を求めるお客で満杯です。
太いハリに「盗賊除」のお札が貼られています。
2012年03月03日
第五回大子町 百段階段でひな祭り
第五回大子町 百段階段でひな祭り
[日時](2012)平成24年3月3日(土)10:00〜15:00
[場所]大子町本通り[十二所神社百段階段]
まだ雪が消え残る大子町、晴れてはいても雪をわたる風は冷たいまま。
でも人口2万人の町に、1万4000人のお客様が訪れ、町中熱い一日になりました。
このひな祭りは大子町商工会女性部が地域お越しの一つとして始めた事業で、このお客さんの多さは、ねらい通り事業の成功を物語っています。
なぜこれほどまでにみんなが訪れるのか、それはお雛様の飾り方にあります。
通常の街なかのお店での展示ではガラス越しのショーウインドウに飾られていて、外からはガラスが光って見えない、かわいいお雛様のお顔を見ることができない飾り方です。
百段階段にお雛様を飾るというアイデアがすばらしい。
訪れた人は、青空の下春風のなか、石段のお雛様を一つ一つ見て、気に入ったお顔のお雛様をデジカメに収めることができます。
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[日時](2012)平成24年3月3日(土)10:00〜15:00
[場所]大子町本通り[十二所神社百段階段]
まだ雪が消え残る大子町、晴れてはいても雪をわたる風は冷たいまま。
でも人口2万人の町に、1万4000人のお客様が訪れ、町中熱い一日になりました。
このひな祭りは大子町商工会女性部が地域お越しの一つとして始めた事業で、このお客さんの多さは、ねらい通り事業の成功を物語っています。
なぜこれほどまでにみんなが訪れるのか、それはお雛様の飾り方にあります。
通常の街なかのお店での展示ではガラス越しのショーウインドウに飾られていて、外からはガラスが光って見えない、かわいいお雛様のお顔を見ることができない飾り方です。
百段階段にお雛様を飾るというアイデアがすばらしい。
訪れた人は、青空の下春風のなか、石段のお雛様を一つ一つ見て、気に入ったお顔のお雛様をデジカメに収めることができます。
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