2010年09月
2010年09月28日
西蓮寺の仏たて永代供養(2)常行三昧会
西蓮寺の仏たて永代供養(2)常行三昧会
◆開催日時:[2010]平成22年9月
24日(金)午前12闢時より 開闢(かいびゃく)法要
練り行列があります。
27日(月)午前12闢時より 中回向
練り行列があります。
30日(木)午前12闢時より 結願法要
◇開催場所:西蓮寺(さいれんじ) 常陸高野
行方市西蓮寺504
◇問合わせ:電話0299−56−0107
午前12時からの法要のあと、常行三昧会がはじまり、四人の若い僧侶が常行堂内の阿弥陀仏の周りをゆっくりと歩きながら読経し、阿弥陀仏の正面では拝礼してのち立行読経を続けます。2時間おきに後退しながら七日七夜途切れることなく読経が続けられます。
常行三昧会
西蓮寺の伝統行事である常行三昧会(じょうぎょうざんまいえ)は、寛治年間(1087〜94)に地元の長者が比叡山より移したものとされ、西蓮寺の末寺、門徒寺の僧侶が常行堂に集まり、9月24日〜30日の七日七夜・昼夜普段にわたって堂内を回りながら独特の節回しで立行読経する大法要である。
初日、中日、末日には、境内で学頭寺の名残を彷彿とさせる雅な籠(かご)行列が見られる。また「常陸高野」と呼ばれるように、この法要は「仏立て」と言われ、宗旨の別なく近郷近在はもとより遠隔地から新仏の供養に参詣人が訪れる。そしてこの期間には現在も市が開かれ賑わいを見せている。 玉造町指定無形民俗文化財 平成17年3月 玉造町教育委員会
(現地案内板による)旧玉造町→現行方市
「三昧」「常座三昧」「常行三昧」
「三昧」とは「心を静めて一つの対象に集中し心を散らさぬ状態、あるいはその状態に至る修練」をいい、正統的な仏教の三昧には「常座三昧」「常行三昧」という行がある。
現在も比叡山で行われている「常座三昧」とは、90日間、眠気を覚ますための歩行、食事、トイレ以外は結跏正座して堂に籠もる行であり、「常行三昧」とは90日間、堂に籠もり念仏を唱え、阿弥陀佛を廻り一日20時間以上歩き続ける。座臥することなく1メートル四方の縄床で2時間の仮眠のみ許される。
雅な籠(かご)行列・練り行列9月24日撮影
法要の開始時(12:00)本堂から常行堂へ行列、法要終了時(12:50)常行堂から本堂へ5分間ほどの雅な行列を見物することができます。
拍子木を先頭に役員、荷役、ホラ貝、末寺・門徒寺の僧侶、住職ののった籠が続きます。籠は前後2人づつで荷い赤い大きな番傘をかざしています。
僧侶の法衣は赤、紫、緑、しいにび色など様々カラフルであることに感心しました。
また奉仕者7人の白い衣装に黒い烏帽子は、金砂大祭礼の折の神輿の担ぎ役と同様で、平安時代の形式といわれています。
◆開催日時:[2010]平成22年9月
24日(金)午前12闢時より 開闢(かいびゃく)法要
練り行列があります。
27日(月)午前12闢時より 中回向
練り行列があります。
30日(木)午前12闢時より 結願法要
◇開催場所:西蓮寺(さいれんじ) 常陸高野
行方市西蓮寺504
◇問合わせ:電話0299−56−0107
午前12時からの法要のあと、常行三昧会がはじまり、四人の若い僧侶が常行堂内の阿弥陀仏の周りをゆっくりと歩きながら読経し、阿弥陀仏の正面では拝礼してのち立行読経を続けます。2時間おきに後退しながら七日七夜途切れることなく読経が続けられます。
常行三昧会
西蓮寺の伝統行事である常行三昧会(じょうぎょうざんまいえ)は、寛治年間(1087〜94)に地元の長者が比叡山より移したものとされ、西蓮寺の末寺、門徒寺の僧侶が常行堂に集まり、9月24日〜30日の七日七夜・昼夜普段にわたって堂内を回りながら独特の節回しで立行読経する大法要である。
初日、中日、末日には、境内で学頭寺の名残を彷彿とさせる雅な籠(かご)行列が見られる。また「常陸高野」と呼ばれるように、この法要は「仏立て」と言われ、宗旨の別なく近郷近在はもとより遠隔地から新仏の供養に参詣人が訪れる。そしてこの期間には現在も市が開かれ賑わいを見せている。 玉造町指定無形民俗文化財 平成17年3月 玉造町教育委員会
(現地案内板による)旧玉造町→現行方市
「三昧」「常座三昧」「常行三昧」
「三昧」とは「心を静めて一つの対象に集中し心を散らさぬ状態、あるいはその状態に至る修練」をいい、正統的な仏教の三昧には「常座三昧」「常行三昧」という行がある。
現在も比叡山で行われている「常座三昧」とは、90日間、眠気を覚ますための歩行、食事、トイレ以外は結跏正座して堂に籠もる行であり、「常行三昧」とは90日間、堂に籠もり念仏を唱え、阿弥陀佛を廻り一日20時間以上歩き続ける。座臥することなく1メートル四方の縄床で2時間の仮眠のみ許される。
雅な籠(かご)行列・練り行列9月24日撮影
法要の開始時(12:00)本堂から常行堂へ行列、法要終了時(12:50)常行堂から本堂へ5分間ほどの雅な行列を見物することができます。
拍子木を先頭に役員、荷役、ホラ貝、末寺・門徒寺の僧侶、住職ののった籠が続きます。籠は前後2人づつで荷い赤い大きな番傘をかざしています。
僧侶の法衣は赤、紫、緑、しいにび色など様々カラフルであることに感心しました。
また奉仕者7人の白い衣装に黒い烏帽子は、金砂大祭礼の折の神輿の担ぎ役と同様で、平安時代の形式といわれています。
2010年09月27日
西蓮寺の仏たて永代供養(1)練り行列
西蓮寺の仏たて永代供養(1)練り行列
◆開催日時:[2010]平成22年9月
24日(金)午前12闢時より 開闢(かいびゃく)法要
練り行列があります。
27日(月)午前12闢時より 中回向
練り行列があります。
30日(木)午前12闢時より 結願法要
◇開催場所:西蓮寺(さいれんじ) 常陸高野
行方市西蓮寺504
◇問合わせ:電話0299−56−0107
西蓮寺の伝統行事である常行三昧会(じょうぎょうざんまいえ)は、寛治年間(1087〜94)に地元の長者が比叡山より移したものとされ、西蓮寺の末寺、門徒寺の僧侶が常行堂に集まり、9月24日〜30日の七日七夜・昼夜普段にわたって堂内を回りながら独特の節回しで立行読経する大法要である。
初日、中日、末日には、境内で学頭寺の名残を彷彿とさせる雅な籠(かご)行列が見られる。また「常陸高野」と呼ばれるように、この法要は「仏立て」と言われ、宗旨の別なく近郷近在はもとより遠隔地から新仏の供養に参詣人が訪れる。そしてこの期間には現在も市が開かれ賑わいを見せている。 玉造町指定無形民俗文化財 平成17年3月 玉造町教育委員会
(現地案内板による)旧玉造町→現行方市
雅な籠(かご)行列・練り行列9月24日撮影
法要の開始時(12:00)本堂から常行堂へ行列、法要終了時(12:50)常行堂から本堂へ5分間ほどの雅な行列を見物することができます。
拍子木を先頭に役員、荷役、ホラ貝、末寺・門徒寺の僧侶、住職ののった籠が続きます。籠は前後2人づつで荷い赤い大きな番傘をかざしています。
僧侶の法衣は赤、紫、緑、しいにび色など様々カラフルであることに感心しました。
また奉仕者7人の白い衣装に黒い烏帽子は、金砂大祭礼の折の神輿の担ぎ役と同様で、平安時代の形式といわれています。
◆開催日時:[2010]平成22年9月
24日(金)午前12闢時より 開闢(かいびゃく)法要
練り行列があります。
27日(月)午前12闢時より 中回向
練り行列があります。
30日(木)午前12闢時より 結願法要
◇開催場所:西蓮寺(さいれんじ) 常陸高野
行方市西蓮寺504
◇問合わせ:電話0299−56−0107
西蓮寺の伝統行事である常行三昧会(じょうぎょうざんまいえ)は、寛治年間(1087〜94)に地元の長者が比叡山より移したものとされ、西蓮寺の末寺、門徒寺の僧侶が常行堂に集まり、9月24日〜30日の七日七夜・昼夜普段にわたって堂内を回りながら独特の節回しで立行読経する大法要である。
初日、中日、末日には、境内で学頭寺の名残を彷彿とさせる雅な籠(かご)行列が見られる。また「常陸高野」と呼ばれるように、この法要は「仏立て」と言われ、宗旨の別なく近郷近在はもとより遠隔地から新仏の供養に参詣人が訪れる。そしてこの期間には現在も市が開かれ賑わいを見せている。 玉造町指定無形民俗文化財 平成17年3月 玉造町教育委員会
(現地案内板による)旧玉造町→現行方市
雅な籠(かご)行列・練り行列9月24日撮影
法要の開始時(12:00)本堂から常行堂へ行列、法要終了時(12:50)常行堂から本堂へ5分間ほどの雅な行列を見物することができます。
拍子木を先頭に役員、荷役、ホラ貝、末寺・門徒寺の僧侶、住職ののった籠が続きます。籠は前後2人づつで荷い赤い大きな番傘をかざしています。
僧侶の法衣は赤、紫、緑、しいにび色など様々カラフルであることに感心しました。
また奉仕者7人の白い衣装に黒い烏帽子は、金砂大祭礼の折の神輿の担ぎ役と同様で、平安時代の形式といわれています。
2010年09月21日
生子神社の泣き相撲(2)お囃子
生子神社の泣き相撲(2)お囃子
◆開催日時:[2010]平成22年9月19日(日)午前9時より午後4時まで
◇開催場所:生子(いきこ)神社
栃木県鹿沼市籾山(もみやま)町1167
◇問合わせ:鹿沼市観光物産協会0289-60-2507
◆参加費用:事前申し込み3,000円、当日受付だと3,500円 お札、お守り、力餅、鉢巻、破魔弓を授かる。
国選択無形民俗文化財・鹿沼市指定無形民俗文化財
籾山生子神社古式泣き相撲講(趣意書より)
生子神社は今を去る1200有余年前聖武天皇の御代神亀3年9月15日の建立になり祭神は天照大神あまてらすおおみかみの御孫天津瓊々杵尊 ににぎのみこと であり、安産子育の守護神として多くの人々の信仰厚い神社です。
はじめは籾山明神と称し、生子神社の名の由来は、次のように伝承されています。
この地の氏子与吾衛門の子が天然痘にかかり、手当ての甲斐なく遂にこの夜を去りました。
与吾衛門夫婦は大いに嘆き悲しみ、この上は籾山明神に蘇生を祈願する以外途はないと思い、霜深い夜明に我が子の死骸を背負い、境内の精泉(おみたらせ)に至り、水行の上我が子の蘇生を祈り、この願いが叶いますれば、毎年山海の珍味にて42種の御供物を42膳供えてお祭りいたしますと、信心を凝らして請願したところ、不思議や3日後に大声をあげて泣き出し蘇生いたしました。
お囃子
泣き相撲の取り組みの間、神楽殿では小太鼓2、大太鼓1、笛1、鉦1で随時お囃子が賑やかです。またひょっとこは出て、ザルに入れたお菓子を子どもたちに配ります。
◆開催日時:[2010]平成22年9月19日(日)午前9時より午後4時まで
◇開催場所:生子(いきこ)神社
栃木県鹿沼市籾山(もみやま)町1167
◇問合わせ:鹿沼市観光物産協会0289-60-2507
◆参加費用:事前申し込み3,000円、当日受付だと3,500円 お札、お守り、力餅、鉢巻、破魔弓を授かる。
国選択無形民俗文化財・鹿沼市指定無形民俗文化財
籾山生子神社古式泣き相撲講(趣意書より)
生子神社は今を去る1200有余年前聖武天皇の御代神亀3年9月15日の建立になり祭神は天照大神あまてらすおおみかみの御孫天津瓊々杵尊 ににぎのみこと であり、安産子育の守護神として多くの人々の信仰厚い神社です。
はじめは籾山明神と称し、生子神社の名の由来は、次のように伝承されています。
この地の氏子与吾衛門の子が天然痘にかかり、手当ての甲斐なく遂にこの夜を去りました。
与吾衛門夫婦は大いに嘆き悲しみ、この上は籾山明神に蘇生を祈願する以外途はないと思い、霜深い夜明に我が子の死骸を背負い、境内の精泉(おみたらせ)に至り、水行の上我が子の蘇生を祈り、この願いが叶いますれば、毎年山海の珍味にて42種の御供物を42膳供えてお祭りいたしますと、信心を凝らして請願したところ、不思議や3日後に大声をあげて泣き出し蘇生いたしました。
お囃子
泣き相撲の取り組みの間、神楽殿では小太鼓2、大太鼓1、笛1、鉦1で随時お囃子が賑やかです。またひょっとこは出て、ザルに入れたお菓子を子どもたちに配ります。
2010年09月19日
生子神社の泣き相撲(1)泣く子は育つ
生子神社の泣き相撲(1)泣く子は育つ
◆開催日時:[2010]平成22年9月19日(日)午前9時より午後4時まで
◇開催場所:生子(いきこ)神社
栃木県鹿沼市籾山町1167
◇問合わせ:鹿沼市観光物産協会0289-60-2507
◆参加費用:事前申し込み3,000円、当日受付だと3,500円 お札、お守り、力餅、鉢巻、破魔弓を授かる。
国選択無形民俗文化財・鹿沼市指定無形民俗文化財
子供の健やかな成長を祈願して開催されている奇習行事、「生子神社の泣き相撲」に女の子ながら参加してきました。
二人目の孫は10ヶ月、すでにハイハイ、お座りもして、「泣き相撲」のできるほどに育ちました。
当日12時頃の受付で950番目くらい、栃木県内はもちろん、近県関東一円からもたくさんの赤ちゃんが参加しています。
受付で順番を決めてもらい、時間になったら土俵脇の力士に赤ん坊を預けます。(この時点で泣き出す赤ん坊が多い。)赤ちゃんを預けたらすぐに土俵正面に回って、デジカメやビデオを構えましょう。正面側に家族だけが入れる仕切りがあります。
女の子同士、男の子同士の取り組みとなり呼出しが「東、すずきまいちゃん、たなかほのかちゃん」などと名前を読み上げます。
赤ちゃんを抱いたまわし姿の力士が土俵に入り塩をまいた後、土俵中央で「ヨイショ、ヨイショ、ヨイショ」と掛け声と共に、3回頭上高く振り上げて取組ませ、先に泣いたほうが勝ちとなります。(現在では勝ち負けはありません。)
すぐに泣く子、まるで泣かない子などその表情はさまざま。
取り組みが終わると行司を中央にして赤ちゃんを抱いた力士がお母さんお父さんの方にむいてくれるので、手で合図をして写真を撮りましょう。撮影が終わると正面横で赤ちゃんを受け取ることになります。
この間一分くらい、撮影のチャンスは極短いものです。できればおじいちゃん、おばあちゃんにも手伝ってもらって、赤ちゃんを預ける役、上の子を見る役、デジカメの役、ビデオの役と4人で分担するとチャンスを逃さず撮影できます。
取り組みの後、生子神社拝殿前で別の行司さんと記念撮影ができるので、手抜かりなく並びましょう。
また土俵脇の神楽殿で随時お囃子が奏され、ひょっとこ踊りがあります。
その中でひょっとこがザルに駄菓子を入れて、配ってくれるのでこれもゲット。
さらに石段の途中で赤ちゃんの手形足形を採ってくれるサービスもあります。有料1000円。
(孫は訳もわからず泣いたけれども、爺婆は孫との楽しい一日でした。)
◆開催日時:[2010]平成22年9月19日(日)午前9時より午後4時まで
◇開催場所:生子(いきこ)神社
栃木県鹿沼市籾山町1167
◇問合わせ:鹿沼市観光物産協会0289-60-2507
◆参加費用:事前申し込み3,000円、当日受付だと3,500円 お札、お守り、力餅、鉢巻、破魔弓を授かる。
国選択無形民俗文化財・鹿沼市指定無形民俗文化財
子供の健やかな成長を祈願して開催されている奇習行事、「生子神社の泣き相撲」に女の子ながら参加してきました。
二人目の孫は10ヶ月、すでにハイハイ、お座りもして、「泣き相撲」のできるほどに育ちました。
当日12時頃の受付で950番目くらい、栃木県内はもちろん、近県関東一円からもたくさんの赤ちゃんが参加しています。
受付で順番を決めてもらい、時間になったら土俵脇の力士に赤ん坊を預けます。(この時点で泣き出す赤ん坊が多い。)赤ちゃんを預けたらすぐに土俵正面に回って、デジカメやビデオを構えましょう。正面側に家族だけが入れる仕切りがあります。
女の子同士、男の子同士の取り組みとなり呼出しが「東、すずきまいちゃん、たなかほのかちゃん」などと名前を読み上げます。
赤ちゃんを抱いたまわし姿の力士が土俵に入り塩をまいた後、土俵中央で「ヨイショ、ヨイショ、ヨイショ」と掛け声と共に、3回頭上高く振り上げて取組ませ、先に泣いたほうが勝ちとなります。(現在では勝ち負けはありません。)
すぐに泣く子、まるで泣かない子などその表情はさまざま。
取り組みが終わると行司を中央にして赤ちゃんを抱いた力士がお母さんお父さんの方にむいてくれるので、手で合図をして写真を撮りましょう。撮影が終わると正面横で赤ちゃんを受け取ることになります。
この間一分くらい、撮影のチャンスは極短いものです。できればおじいちゃん、おばあちゃんにも手伝ってもらって、赤ちゃんを預ける役、上の子を見る役、デジカメの役、ビデオの役と4人で分担するとチャンスを逃さず撮影できます。
取り組みの後、生子神社拝殿前で別の行司さんと記念撮影ができるので、手抜かりなく並びましょう。
また土俵脇の神楽殿で随時お囃子が奏され、ひょっとこ踊りがあります。
その中でひょっとこがザルに駄菓子を入れて、配ってくれるのでこれもゲット。
さらに石段の途中で赤ちゃんの手形足形を採ってくれるサービスもあります。有料1000円。
(孫は訳もわからず泣いたけれども、爺婆は孫との楽しい一日でした。)
2010年09月14日
タバンカ祭(3)バタンバタン!
タバンカ祭(3)バタンバタン!
◆開催日時:[2010]平成22年9月12日(日)・14日(火)午後7:00〜8:30
◇開催場所:大宝八幡宮
茨城県下妻市大宝667
◇問合わせ:0296-44-3756
火は、古代から神聖な存在とされ信仰の対象としてあがめられ、真壁の「かったて祭り」福島県須賀川の「松明あかし」など松明をテーマにした様々なお祭りが行なわれている中で、大宝八幡宮のタバンカ祭はまったくの奇祭といっていい、ここでしか見られない火祭です。
神事
午後7時花火の合図とともに拝殿では氏子所役が着座したのち、宮司により祝詞奏上、お祓い、玉串奉奠、お神酒頂戴などの神事が行なわれます。
この祭りは別名「冬瓜まつり」とも言われ、神前に冬瓜の煮物と白いご飯を供えます。
さらに御神前に巴型に並べられた畳4枚とその中央の鍋蓋の上の素焼きの杯(カワラケ)に、ご飯と冬瓜の煮物を一つづつ盛り付け、玉串拝礼の後、太鼓の音に乗って祭りの所役である白装束の氏子青年7名が畳や鍋蓋ごとカワラケを拝殿前に放り投げます。
カワラケを拾った人は病気をしないといわれ、集まった人々が競って拾います。私も破片を2個拾いました、ご利益ご利益。
次にあらかじめ拝殿前に供えられた麦わら製の大松明に点火する動作に入ります。
神前の御灯明の火をロウソクに移し、さらに大王松の松葉の束に点火、所役二人が抱えた大松明を中央で交差させここに松葉の炎をかざすとたちまちのうちに火炎に包まれ、これを門前のかがり火が炊かれている位置まで抱えて運びます。
畳と鍋蓋
門前に投げられた大松明にさらにワラ束を投入すると火炎は渦を巻き、激しく燃え上がり、7人の所役(畳4名、鍋蓋1名、松明2名)は火炎を囲んで、火を消す動作を行ないます。
実際に火を消すのではなく、火の回りで畳(一畳の四分の一)を背負い投げの仕草で石畳を叩き付け、力いっぱい鍋蓋を打ち付けます。はずみで鍋蓋が見物人まではねる時があるので注意が必要です。
松明が燃え尽き祭りが終わるまでの一時間は八幡太鼓が勇壮な響きを境内に満たします。
「タバンカ祭」の名の起こり
「タバンカ祭」のその起源は応安3年(1370年)に大宝寺別当の賢了院が出火した際に、畳と鍋蓋を使って火を消し止めたという故事に因んでいます。
この祭りでは燃え上がる御神火の周りを囲んだ氏子の若者7人が、畳や鍋蓋をバタンバタンと石畳に叩きつけるそのすさまじい音から「タバンカ祭」の名が起こったといわれています。
◆開催日時:[2010]平成22年9月12日(日)・14日(火)午後7:00〜8:30
◇開催場所:大宝八幡宮
茨城県下妻市大宝667
◇問合わせ:0296-44-3756
火は、古代から神聖な存在とされ信仰の対象としてあがめられ、真壁の「かったて祭り」福島県須賀川の「松明あかし」など松明をテーマにした様々なお祭りが行なわれている中で、大宝八幡宮のタバンカ祭はまったくの奇祭といっていい、ここでしか見られない火祭です。
神事
午後7時花火の合図とともに拝殿では氏子所役が着座したのち、宮司により祝詞奏上、お祓い、玉串奉奠、お神酒頂戴などの神事が行なわれます。
この祭りは別名「冬瓜まつり」とも言われ、神前に冬瓜の煮物と白いご飯を供えます。
さらに御神前に巴型に並べられた畳4枚とその中央の鍋蓋の上の素焼きの杯(カワラケ)に、ご飯と冬瓜の煮物を一つづつ盛り付け、玉串拝礼の後、太鼓の音に乗って祭りの所役である白装束の氏子青年7名が畳や鍋蓋ごとカワラケを拝殿前に放り投げます。
カワラケを拾った人は病気をしないといわれ、集まった人々が競って拾います。私も破片を2個拾いました、ご利益ご利益。
次にあらかじめ拝殿前に供えられた麦わら製の大松明に点火する動作に入ります。
神前の御灯明の火をロウソクに移し、さらに大王松の松葉の束に点火、所役二人が抱えた大松明を中央で交差させここに松葉の炎をかざすとたちまちのうちに火炎に包まれ、これを門前のかがり火が炊かれている位置まで抱えて運びます。
畳と鍋蓋
門前に投げられた大松明にさらにワラ束を投入すると火炎は渦を巻き、激しく燃え上がり、7人の所役(畳4名、鍋蓋1名、松明2名)は火炎を囲んで、火を消す動作を行ないます。
実際に火を消すのではなく、火の回りで畳(一畳の四分の一)を背負い投げの仕草で石畳を叩き付け、力いっぱい鍋蓋を打ち付けます。はずみで鍋蓋が見物人まではねる時があるので注意が必要です。
松明が燃え尽き祭りが終わるまでの一時間は八幡太鼓が勇壮な響きを境内に満たします。
「タバンカ祭」の名の起こり
「タバンカ祭」のその起源は応安3年(1370年)に大宝寺別当の賢了院が出火した際に、畳と鍋蓋を使って火を消し止めたという故事に因んでいます。
この祭りでは燃え上がる御神火の周りを囲んだ氏子の若者7人が、畳や鍋蓋をバタンバタンと石畳に叩きつけるそのすさまじい音から「タバンカ祭」の名が起こったといわれています。
2010年09月13日
タバンカ祭(2)神事 カワラケを投げる
タバンカ祭(2)神事 カワラケを投げる
◆開催日時:[2010]平成22年9月12日(日)・14日(火)午後7:00〜8:30
◇開催場所:大宝八幡宮
茨城県下妻市大宝667
◇問合わせ:0296-44-3756
「タバンカ祭」の名が起こり
火は、古代から神聖な存在とされ信仰の対象としてあがめられ、真壁の「かったて祭り」福島県須賀川の「松明あかし」など松明をテーマにした様々なお祭りが行なわれている中で、大宝八幡宮のタバンカ祭はまったくの奇祭といっていい、ここでしか見られない火祭です。
午後7時花火の合図とともに拝殿では氏子所役が着座したのち、宮司により祝詞奏上、お祓い、玉串奉奠、お神酒頂戴などの神事が行なわれます。
この祭りは別名「冬瓜まつり」とも言われ、神前に冬瓜の煮物と白いご飯を供えます。
さらに御神前に巴型に並べられた畳4枚とその中央の鍋蓋の上の素焼きの杯(カワラケ)に、ご飯と冬瓜の煮物を一つづつ盛り付け、玉串拝礼の後、太鼓の音に乗って祭りの所役である白装束の氏子青年7名が畳や鍋蓋ごとカワラケを拝殿前に放り投げます。
カワラケを拾った人は病気をしないといわれ、集まった人々が競って拾います。私も破片を2個拾いました、ご利益ご利益。
次にあらかじめ拝殿前に供えられた麦わら製の大松明に点火する動作に入ります。
神前の御灯明の火をロウソクに移し、さらに大王松の松葉の束に点火、所役二人が抱えた大松明を中央で交差させここに松葉の炎をかざすとたちまちのうちに火炎に包まれ、これを門前のかがり火が炊かれている位置まで抱えて運びます。
「タバンカ祭」のその起源は応安3年(1370年)に大宝寺別当の賢了院が出火した際に、畳と鍋蓋を使って火を消し止めたという故事に因んでいます。
この祭りでは燃え上がる御神火の周りを囲んだ氏子の若者7人が、畳や鍋蓋をバタンバタンと石畳に叩きつけるそのすさまじい音から「タバンカ祭」の名が起こったといわれています。
◆開催日時:[2010]平成22年9月12日(日)・14日(火)午後7:00〜8:30
◇開催場所:大宝八幡宮
茨城県下妻市大宝667
◇問合わせ:0296-44-3756
「タバンカ祭」の名が起こり
火は、古代から神聖な存在とされ信仰の対象としてあがめられ、真壁の「かったて祭り」福島県須賀川の「松明あかし」など松明をテーマにした様々なお祭りが行なわれている中で、大宝八幡宮のタバンカ祭はまったくの奇祭といっていい、ここでしか見られない火祭です。
午後7時花火の合図とともに拝殿では氏子所役が着座したのち、宮司により祝詞奏上、お祓い、玉串奉奠、お神酒頂戴などの神事が行なわれます。
この祭りは別名「冬瓜まつり」とも言われ、神前に冬瓜の煮物と白いご飯を供えます。
さらに御神前に巴型に並べられた畳4枚とその中央の鍋蓋の上の素焼きの杯(カワラケ)に、ご飯と冬瓜の煮物を一つづつ盛り付け、玉串拝礼の後、太鼓の音に乗って祭りの所役である白装束の氏子青年7名が畳や鍋蓋ごとカワラケを拝殿前に放り投げます。
カワラケを拾った人は病気をしないといわれ、集まった人々が競って拾います。私も破片を2個拾いました、ご利益ご利益。
次にあらかじめ拝殿前に供えられた麦わら製の大松明に点火する動作に入ります。
神前の御灯明の火をロウソクに移し、さらに大王松の松葉の束に点火、所役二人が抱えた大松明を中央で交差させここに松葉の炎をかざすとたちまちのうちに火炎に包まれ、これを門前のかがり火が炊かれている位置まで抱えて運びます。
「タバンカ祭」のその起源は応安3年(1370年)に大宝寺別当の賢了院が出火した際に、畳と鍋蓋を使って火を消し止めたという故事に因んでいます。
この祭りでは燃え上がる御神火の周りを囲んだ氏子の若者7人が、畳や鍋蓋をバタンバタンと石畳に叩きつけるそのすさまじい音から「タバンカ祭」の名が起こったといわれています。
2010年09月12日
タバンカ祭(1)一つ目のワラ人形
タバンカ祭(1)一つ目のワラ人形
◆開催日時:[2010]平成22年9月12日(日)・14日(火)午後7:00〜8:30
◇開催場所:大宝八幡宮
茨城県下妻市大宝667
◇問合わせ:0296-44-3756
「タバンカ祭」の名が起こり
火は、古代から神聖な存在とされ信仰の対象としてあがめられ、真壁の「かったて祭り」福島県須賀川の「松明あかし」など松明をテーマにした様々なお祭りが行なわれている中で、大宝八幡宮のタバンカ祭はまったくの奇祭といっていい、ここでしか見られない火祭です。
その起源は応安3年(1370年)に大宝寺別当の賢了院が出火した際に、畳と鍋蓋を使って火を消し止めたという故事に因んでいます。
この祭りでは燃え上がる御神火の周りを囲んだ氏子の若者7人が、畳や鍋蓋をバタンバタンと石畳に叩きつけるそのすさまじい音から「タバンカ祭」の名が起こったといわれています。
「一つ目のワラ人形」の伝説
昔むかし大宝沼に大きな白蛇がすんでいていました。
秋になると白蛇が大宝近郊の家の屋根に白羽の矢を立てます。
その家では娘を白蛇に差し出さなければなりません。
差し出さなければ白蛇の怒りにふれ大嵐大洪水などにより農作物が獲れなくなります。
近郊の人たちが集まって考えた末、「一つ目のワラ人形」を作って白蛇に差し出しました。
白蛇はびっくりして大宝沼から姿を消してしまいました。その後村々は豊かな稔りが続いたとことです。
9月15日秋の大祭(大宝まち)の夜神事が行なわれ、ワラ人形に一つ目を入れて後、川に流す。
ワラ人形の足の指、手の指まで丁寧に作られています。
(左)タバンカ祭は別名「冬瓜まつり」とも呼ばれ、冬瓜の煮物と白ご飯を神前に献ずる。
(右)松明に御灯明から火を移す際に使われる大王松の松葉
◆開催日時:[2010]平成22年9月12日(日)・14日(火)午後7:00〜8:30
◇開催場所:大宝八幡宮
茨城県下妻市大宝667
◇問合わせ:0296-44-3756
「タバンカ祭」の名が起こり
火は、古代から神聖な存在とされ信仰の対象としてあがめられ、真壁の「かったて祭り」福島県須賀川の「松明あかし」など松明をテーマにした様々なお祭りが行なわれている中で、大宝八幡宮のタバンカ祭はまったくの奇祭といっていい、ここでしか見られない火祭です。
その起源は応安3年(1370年)に大宝寺別当の賢了院が出火した際に、畳と鍋蓋を使って火を消し止めたという故事に因んでいます。
この祭りでは燃え上がる御神火の周りを囲んだ氏子の若者7人が、畳や鍋蓋をバタンバタンと石畳に叩きつけるそのすさまじい音から「タバンカ祭」の名が起こったといわれています。
「一つ目のワラ人形」の伝説
昔むかし大宝沼に大きな白蛇がすんでいていました。
秋になると白蛇が大宝近郊の家の屋根に白羽の矢を立てます。
その家では娘を白蛇に差し出さなければなりません。
差し出さなければ白蛇の怒りにふれ大嵐大洪水などにより農作物が獲れなくなります。
近郊の人たちが集まって考えた末、「一つ目のワラ人形」を作って白蛇に差し出しました。
白蛇はびっくりして大宝沼から姿を消してしまいました。その後村々は豊かな稔りが続いたとことです。
9月15日秋の大祭(大宝まち)の夜神事が行なわれ、ワラ人形に一つ目を入れて後、川に流す。
ワラ人形の足の指、手の指まで丁寧に作られています。
(左)タバンカ祭は別名「冬瓜まつり」とも呼ばれ、冬瓜の煮物と白ご飯を神前に献ずる。
(右)松明に御灯明から火を移す際に使われる大王松の松葉
2010年09月02日
菅谷(大助)まつり(2)山車の押し合い
菅谷(大助)まつり(2)山車の押し合い
◆開催日時:[2010]平成22年8月15日15:00〜21:00
◇開催場所:那珂市 菅谷鹿島神社付近
◆実行委員会:029−298−3740
150年以上もの伝統を誇る菅谷(大助)まつりは3年に一度の8月15日に行われます。
祭りのシンボルである提灯をつけた山車は、鹿島神宮の提灯祭りが発祥とも言われており、山車がにぎやかな大助ばやしにのって繰り出します。
夜になると数百の提灯で彩られた山車が、鹿島神社に繰り込みます。
菅谷(大助)まつりの見所は「山車の押し合い」「山車の回転」「山車の繰り込み」「かがり火神事」「火切り神事」「七つぼんぼり」「火防せ」などがあります。
山車の押し合い
山車が町内を巡行中に他町内の山車と鉢合わせした時に見られる行動パターンです。
「道をゆずれ」「ゆずらない」「じゃ押し合いだっぺ!」という意味があるのか、山車を先導する「七つぼんぼり」(七つの提灯を付けた竹竿)が互いに押し合ったのち、相手の山車のすぐ近くに七つぼんぼりを立て、これを陣地に山車を突進させ、相手の山車にあわや激突寸前で急ブレーキをかけ、あたかも相手を威嚇するような行動をとります。
お互いに陣地を交換し2度3度と押し合いを行なったのち、何事もなかったように道をゆずるという行動が見られます。
寄居町の山車
◆開催日時:[2010]平成22年8月15日15:00〜21:00
◇開催場所:那珂市 菅谷鹿島神社付近
◆実行委員会:029−298−3740
150年以上もの伝統を誇る菅谷(大助)まつりは3年に一度の8月15日に行われます。
祭りのシンボルである提灯をつけた山車は、鹿島神宮の提灯祭りが発祥とも言われており、山車がにぎやかな大助ばやしにのって繰り出します。
夜になると数百の提灯で彩られた山車が、鹿島神社に繰り込みます。
菅谷(大助)まつりの見所は「山車の押し合い」「山車の回転」「山車の繰り込み」「かがり火神事」「火切り神事」「七つぼんぼり」「火防せ」などがあります。
山車の押し合い
山車が町内を巡行中に他町内の山車と鉢合わせした時に見られる行動パターンです。
「道をゆずれ」「ゆずらない」「じゃ押し合いだっぺ!」という意味があるのか、山車を先導する「七つぼんぼり」(七つの提灯を付けた竹竿)が互いに押し合ったのち、相手の山車のすぐ近くに七つぼんぼりを立て、これを陣地に山車を突進させ、相手の山車にあわや激突寸前で急ブレーキをかけ、あたかも相手を威嚇するような行動をとります。
お互いに陣地を交換し2度3度と押し合いを行なったのち、何事もなかったように道をゆずるという行動が見られます。
寄居町の山車