飯沼城跡
2007年12月12日
天台宗福性寺本堂落慶法要 飯沼城跡
天台宗三池山普門院福性寺(ふくしょうじ)本堂落慶法要
日時:平成19年12月2日(日)9時から
場所:茨城町上飯沼926
(石岡市で携帯ホームページ「絆メール」のセミナーを受講する途中、取材をさせていただきました。)
福性寺(ふくしょうじ)は天台宗のお寺で,本堂には町内で一番古い一木造りの如来像が安置されています。境内には鎌倉時代の板碑や南北朝時代の五輪塔があります(いづれも町指定文化財)。
本堂の横にある観音堂は飯沼城の奥方の安産を祈って建てられたと言われ、現在でも、安産や子育てに御利益があるとして、地域の人々に信仰されています。
福性寺では天台宗開宗1200年慶賛記念事業として、本堂・客殿が新築され、その落慶法要が行われました。


福性寺の隣には、戦国時代の面影を残す飯沼城跡があります。茨城町指定文化財。
飯沼城の城主は桜井氏で南北朝時代(1350年頃室町時代の初期)には南朝の一員として戦い、文明年間(西暦1500年頃室町時代)には江戸氏の影響下に入り、天正18年(1590年安土桃山時代:豊臣秀吉が全国を統一した頃)に佐竹氏に滅ぼされました。
戦国時代にあったとされる三つの郭のうち本丸のみが残されています。
その広さは約50メートル四方で周囲より5メートルほど高く、土塁が巡らされています。
現在はゲートボール場のような広場が設けられていました。


日時:平成19年12月2日(日)9時から
場所:茨城町上飯沼926
(石岡市で携帯ホームページ「絆メール」のセミナーを受講する途中、取材をさせていただきました。)
福性寺(ふくしょうじ)は天台宗のお寺で,本堂には町内で一番古い一木造りの如来像が安置されています。境内には鎌倉時代の板碑や南北朝時代の五輪塔があります(いづれも町指定文化財)。
本堂の横にある観音堂は飯沼城の奥方の安産を祈って建てられたと言われ、現在でも、安産や子育てに御利益があるとして、地域の人々に信仰されています。
福性寺では天台宗開宗1200年慶賛記念事業として、本堂・客殿が新築され、その落慶法要が行われました。


福性寺の隣には、戦国時代の面影を残す飯沼城跡があります。茨城町指定文化財。
飯沼城の城主は桜井氏で南北朝時代(1350年頃室町時代の初期)には南朝の一員として戦い、文明年間(西暦1500年頃室町時代)には江戸氏の影響下に入り、天正18年(1590年安土桃山時代:豊臣秀吉が全国を統一した頃)に佐竹氏に滅ぼされました。
戦国時代にあったとされる三つの郭のうち本丸のみが残されています。
その広さは約50メートル四方で周囲より5メートルほど高く、土塁が巡らされています。
現在はゲートボール場のような広場が設けられていました。


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