2013年10月28日

●西塩子の回り舞台 地芝居「一の谷嫩軍記 熊谷陣屋の場」

●西塩子の回り舞台 地芝居「一の谷嫩軍記 熊谷陣屋の場」
西塩子の回り舞台で歌舞伎公演
日時:(2013)平成25年10月19日(土)午前10時〜午後6時
会場:塩田公民館グランド
住所:茨城県塩田公民館グラウンド
入場無料

地芝居「一の谷嫩軍記 熊谷陣屋の場」(いちのたに ふたば ぐんき)
出演:柳橋歌舞伎保存会

特別出演:柳橋歌舞伎保存会(郡山市指定重要無形文化財)
 江戸時代に天領であった福島県郡山市中田町柳橋は、他領に比べて規制がゆるやかで、芸事が盛んな土地柄でした。
そのような環境の中で地芝居の一座が組まれ、江戸時代の末には盛んに他領での興行も行いましたが、戊辰戦争後は興行が禁じられて、地元の菅布弥神社の祭礼のみで奉納されるようになりました。
明治時代中頃には一時中断しますが、大正5年に「柳橋歌舞伎研究会」が結成されて復活、その後も伝承の危機がありましたが、昭和55年に地区全戸で「柳橋歌舞伎保存会」を結成、現在まで毎年の祭礼で地芝居の奉納を行っています。

■地芝居「一の谷嫩軍記 熊谷陣屋の場」
ご存知源平合戦の有名な物語を、歌舞伎らしく荒唐無稽に脚色した人気の一幕
平経盛の子 敦盛は、まだ少年の面影を残す平家の公達。
しかし実は、経盛の妻 藤の方が宮仕えしていた時、法皇の寵愛を得て身ごもった皇統を引く皇子でした。
それを知る義経は、一の谷に出陣する熊谷次朗直実に敦盛の助命を暗示。
そこで熊谷は年恰好の同じわが子 小次郎直家を敦盛の身代わりに戦場で討ち取ります。
 舞台は、義経が敦盛の首実検を行う熊谷の陣屋。
熊谷の女房で小次郎の母 相模、敦盛の母 藤の方、一の谷に敦盛を供養する石塔を建てたかどで捕縛された石屋の弥陀六を引き立てた梶原らが訪れます。
熊谷は、敦盛の敵を討とうと迫る藤の方をなだめ、相模と藤の方に敦盛を討ち取った様子を語り、小次郎の首を義経の前に差し出します。
首を見て「あっ」と驚く二人の女。
物陰で様子を見ていた義経の裏切りを知り、鎌倉に告げようと駆け出した梶原は、弥陀六の投げた石ノミで落命。
弥陀六を幼少時の恩人平胸清と見破った義経は、敦盛を忍ばせた鎧びつを弥陀六に託します。
世の無常を観じた熊谷は出家して蓮生坊と名を改め、陣屋を後にするのでした。
西塩子の回り舞台13-10-19(14)一ノ谷軍記三段目熊谷陣屋の場西塩子の回り舞台13-10-19(14)一ノ谷軍記三段目熊谷陣屋の場






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cjs0188 at 19:42│Comments(0) 常陸大宮市 

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