2010年05月07日
徳蔵大師祭(7)八木節源太踊り・流笠と弓張笠
徳蔵大師祭(7)八木節源太踊り・流笠と弓張笠
◆日時:[2010]平成22年4月29日(祝・昭和の日)
◆場所:徳蔵大師(とくらだいし)徳蔵寺(とくぞうじ)
城里町徳蔵 (旧七会村)
徳蔵寺では毎年4月29日には護摩祈祷が行われ、余興として、よさこいソーラン、フラダンス、源太踊り、フーテンの寅さん出演、チンドン屋など盛りだくさんのイベントが為され、多くの人たちが一日を楽しみました。
徳蔵寺は弘法大師によって弘仁5年(814)に創建されたと伝えられる古いお寺です。
大日如来を御本尊とする真言宗智山派に属し、かつては衆徒300坊を擁し、常時修行に励み宗教教育文化の中心として栄えたと記録されています。
この寺には、当地を訪れた若き日の弘法大師空海と、村の美少女・徳藏姫の悲恋伝説が語り継がれています。
(7)八木節源太踊り・流笠と弓張笠
(城里町指定無形民俗文化財)
八木節源太踊りの紹介1
(平成21年度(第33回)茨城県郷土民族芸能の集い出演者団体紹介パンフレットより:当日配布)
下赤沢地区に伝わる八木節源太踊りは、明治時代にやってきた芝居一座の宿に、地元の若者たちが連日遊びに行き、役者の練習を見ながらこの踊りを覚えたのが始まりと言われています。
主に地元の神社や寺などで例年奉納されるほか、依頼を受けて公演を行っています。
踊りは、花笠や番傘を持ち八木節の早い拍子に合わせて踊るとても激しい踊りで、大太鼓、小太鼓、笛、鉦、鼓のお囃子と音頭の歌声がとても賑 やかな印象を与え踊りをいっそう盛り上げています。
演目は、安笠、流笠、車笠、双笠、弓張笠などがあり、そのなかでも弓張笠は非常にダイナミックで華やかな踊りです。子どもたちは、弓張笠を踊ることを目標に日夜練習に励んでいます。
催行日
4月29日(昭和の日)「徳蔵大師祭」
7月下旬の下赤沢地区にある鹿島神社の祇園祭り(隔年実施)
八木節源太踊りの紹介2(城里町)
(平成15年度茨城県郷土民族芸能の集い出演記録パンフレットより)
◆管理者:下赤沢民俗芸能保存会
◆所在地:七会村下赤沢150(現城里町)
◆指定:城里町指定無形民族文化財 平成10年4月23日指定
明治38年日露戦争の戦勝記念に、栃木県芳賀郡茂木町の地芝居を七会村に招きました。
当時娯楽の少ない村では、若者が連日、一座の宿に遊びに行き、役者の練習を見ながらこの踊りを覚えたと伝えています。
一座の演じた歌舞伎は、4幕12景でありましたが、その中に八木節源太踊りがありました。
それから2〜3年後の鹿島神社の夏祭りで若者たちがこの踊りを演じるようになりました。
踊りの基本は、八木節であるので、テンポは速く、激しい踊りです。








◆日時:[2010]平成22年4月29日(祝・昭和の日)
◆場所:徳蔵大師(とくらだいし)徳蔵寺(とくぞうじ)
城里町徳蔵 (旧七会村)
徳蔵寺では毎年4月29日には護摩祈祷が行われ、余興として、よさこいソーラン、フラダンス、源太踊り、フーテンの寅さん出演、チンドン屋など盛りだくさんのイベントが為され、多くの人たちが一日を楽しみました。
徳蔵寺は弘法大師によって弘仁5年(814)に創建されたと伝えられる古いお寺です。
大日如来を御本尊とする真言宗智山派に属し、かつては衆徒300坊を擁し、常時修行に励み宗教教育文化の中心として栄えたと記録されています。
この寺には、当地を訪れた若き日の弘法大師空海と、村の美少女・徳藏姫の悲恋伝説が語り継がれています。
(7)八木節源太踊り・流笠と弓張笠
(城里町指定無形民俗文化財)
八木節源太踊りの紹介1
(平成21年度(第33回)茨城県郷土民族芸能の集い出演者団体紹介パンフレットより:当日配布)
下赤沢地区に伝わる八木節源太踊りは、明治時代にやってきた芝居一座の宿に、地元の若者たちが連日遊びに行き、役者の練習を見ながらこの踊りを覚えたのが始まりと言われています。
主に地元の神社や寺などで例年奉納されるほか、依頼を受けて公演を行っています。
踊りは、花笠や番傘を持ち八木節の早い拍子に合わせて踊るとても激しい踊りで、大太鼓、小太鼓、笛、鉦、鼓のお囃子と音頭の歌声がとても賑 やかな印象を与え踊りをいっそう盛り上げています。
演目は、安笠、流笠、車笠、双笠、弓張笠などがあり、そのなかでも弓張笠は非常にダイナミックで華やかな踊りです。子どもたちは、弓張笠を踊ることを目標に日夜練習に励んでいます。
催行日
4月29日(昭和の日)「徳蔵大師祭」
7月下旬の下赤沢地区にある鹿島神社の祇園祭り(隔年実施)
八木節源太踊りの紹介2(城里町)
(平成15年度茨城県郷土民族芸能の集い出演記録パンフレットより)
◆管理者:下赤沢民俗芸能保存会
◆所在地:七会村下赤沢150(現城里町)
◆指定:城里町指定無形民族文化財 平成10年4月23日指定
明治38年日露戦争の戦勝記念に、栃木県芳賀郡茂木町の地芝居を七会村に招きました。
当時娯楽の少ない村では、若者が連日、一座の宿に遊びに行き、役者の練習を見ながらこの踊りを覚えたと伝えています。
一座の演じた歌舞伎は、4幕12景でありましたが、その中に八木節源太踊りがありました。
それから2〜3年後の鹿島神社の夏祭りで若者たちがこの踊りを演じるようになりました。
踊りの基本は、八木節であるので、テンポは速く、激しい踊りです。







