2010年04月

2010年04月30日

鳳台院のシャクナゲ開花

場所:笠間市箱田2458
0296-72-0024 鳳台院

シャクナゲは花の女王と言われ、その貴賓ある美しさに、豪華な花姿に、明るい彩りに誰もが魅了されるものです。
 確か日本シャクナゲは高山性で深い山に自生していて、山登りが趣味だった若かりし頃、安達太良の山に登り、シャクナゲの群落を見た覚えがあります。
現在一般的に栽培されているのは、育てやすい西洋シャクナゲが主流です。

 鳳台院では山の頂上部に五重の塔などの建物があり、南側の谷になった斜面を見下ろす形でシャクナゲが植えられ、また北側の斜面の樹間にも植えられています。
花が満開の時には、「下界を眺むれば花の海」という雰囲気を楽しむことができます。

 北側の樹林にあるシャクナゲはけっこう咲いていて、白、ピンク、赤などの彩りを楽しむことができます。
南側の山肌を切り開いて植えられた2万株の石楠花は一部開花しているものの連休開け頃が満開との住職のお話でした。
[2010]平成22年4月29日撮影

 鳳台院は巨大な達磨の像や朱塗りの五重塔で知られるお寺で、松田童龍住職が30年ほど前から植え始めた石楠花が、庭園を回遊できる形で楽しめます。

曹洞宗国見山鳳台院
承久年間(1219−1222)に建立されたものの、その後廃寺となり、文明8年(1476)笠間領主笠間朝貞によって再建されました。
境内には、本堂、客殿、山門(笠間市指定文化財)、世界最大級の達磨大師像、お仏舎利奉安の五重の塔、新坂東33番札所である観音堂等の伽藍が建ちならんでいます。
鳳台院のシャクナゲ鳳台院のシャクナゲ






鳳台院のシャクナゲ鳳台院のシャクナゲ






鳳台院のシャクナゲ鳳台院のシャクナゲ

cjs0188 at 00:39|PermalinkComments(0) 花めぐり | 笠間市

2010年04月29日

上山川諏訪神社太太神楽(8)手力男の舞・大山の舞

上山川諏訪神社太太神楽(8)手力男の舞・大山の舞
日時:[2010]平成22年4月3日(土)午後1時〜4時
場所:上山川諏訪神社(結城市上山川160番地)
文化財:茨城県無形民俗文化財
問合:0296−35−6007(上山川諏訪神社)

 茨城県西地域では、江戸時代中期から昭和30年代にかけて、多くの神社で神楽が演じられてきた歴史があり、現在でも地域の人たちの楽しみとして「十二座神楽」が継承されています。
  上山川諏訪神社では毎年4月3日、五穀豊穣を祈る「神武祭」のおり、「諏訪神社太太神楽保存会」の皆さんにより、太太神楽が奉納されています。
 
 境内には露店が並び、骨董市、なつかしの発動機展示なども行なわれ、地域のみなさんが伝統芸能を楽しんでいる様子が伺われました。

 保存会では結城市内のほかの神社7社に出向く「神楽の出張奉納」という珍しい形をとり、神楽の伝承に努めています。
太鼓を叩いているのは中学1年生の少年、その少年のおじいちゃんが横笛を吹いています。
このように地域の人たちの努力によって、神楽が伝承されています。

(8)手力男の舞・大山の舞
第11座「手力男の舞」、第12座「大山の舞」を連続して演技しました。
「手力男の舞」では「蟇目の舞」同様何度もジャンプします。
「大山の舞」は極短く、一回りまわったと思ったら、お楽しみタイム餅まき、菓子まきが始まり、しばしの喧騒が続きます。
紅白の餅、カップラーメン、カレールー、ポップコーン、味噌ラーメン、テッシュペーパー、タワシ、袋菓子類、タッパ・・などアメアラレと降ってきて、受け止めようとする手、手、手。・・・
撮影していたら、カメラや頭に当たるほどもすさまじい量の餅菓子がまかれ、袋いっぱい幸せいっぱいの子どもたちの表情でした。
少なかった子どもには、お母さんが拾った分を分けてあげる微笑ましいシーンも見られ、拾えなかったカメラマンは御幣と榊をいただき、我が家の神棚にお祀りしました。
結城上山川太々神楽手力男の舞結城上山川太々神楽手力男の舞






結城上山川太々神楽手力男の舞結城上山川太々神楽大山の舞






結城上山川太々神楽大山の舞結城上山川太々神楽大山の舞






結城上山川太々神楽大山の舞結城上山川太々神楽大山の舞

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2010年04月28日

上山川諏訪神社太太神楽(7)那岐那美の舞

上山川諏訪神社太太神楽(7)那岐那美の舞
日時:[2010]平成22年4月3日(土)午後1時〜4時
場所:上山川諏訪神社(結城市上山川160番地)
文化財:茨城県無形民俗文化財
問合:0296−35−6007(上山川諏訪神社)

 茨城県西地域では、江戸時代中期から昭和30年代にかけて、多くの神社で神楽が演じられてきた歴史があり、現在でも地域の人たちの楽しみとして「十二座神楽」が継承されています。
  上山川諏訪神社では毎年4月3日、五穀豊穣を祈る「神武祭」のおり、「諏訪神社太太神楽保存会」の皆さんにより、太太神楽が奉納されています。
 
 境内には露店が並び、骨董市、なつかしの発動機展示なども行なわれ、地域のみなさんが伝統芸能を楽しんでいる様子が伺われました。

 保存会では結城市内のほかの神社7社に出向く「神楽の出張奉納」という珍しい形をとり、神楽の伝承に努めています。
太鼓を叩いているのは中学1年生の少年、その少年のおじいちゃんが横笛を吹いています。
このように地域の人たちの努力によって、神楽が伝承されています。

(7)那岐那美の舞
第8座「ナギの舞」、第9座「ナミの舞」を連続して演技しました。
 イザナギ(伊弉諾)の神・イザナミ(伊弉冉)の神は日本の国土(本州・九州・四国・淡路・壱岐・対馬・隠岐・佐渡など)、山川草木をはじめ、もろもろの神様をお生みになった夫婦の神様で、万物の生成、五穀豊穣を祈念し、日・月の鏡を持って舞います。
結城上山川太々神楽那岐那美の舞結城上山川太々神楽那岐那美の舞






結城上山川太々神楽那岐那美の舞結城上山川太々神楽那岐那美の舞






結城上山川太々神楽那岐那美の舞結城上山川太々神楽那岐那美の舞

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2010年04月27日

上山川諏訪神社太太神楽(6)恵比寿(鯛釣り)の舞

上山川諏訪神社太太神楽(6)恵比寿(鯛釣り)の舞
日時:[2010]平成22年4月3日(土)午後1時〜4時
場所:上山川諏訪神社(結城市上山川160番地)
文化財:茨城県無形民俗文化財
問合:0296−35−6007(上山川諏訪神社)

 茨城県西地域では、江戸時代中期から昭和30年代にかけて、多くの神社で神楽が演じられてきた歴史があり、現在でも地域の人たちの楽しみとして「十二座神楽」が継承されています。
  上山川諏訪神社では毎年4月3日、五穀豊穣を祈る「神武祭」のおり、「諏訪神社太太神楽保存会」の皆さんにより、太太神楽が奉納されています。
 
 境内には露店が並び、骨董市、なつかしの発動機展示なども行なわれ、地域のみなさんが伝統芸能を楽しんでいる様子が伺われました。

 保存会では結城市内のほかの神社7社に出向く「神楽の出張奉納」という珍しい形をとり、神楽の伝承に努めています。
太鼓を叩いているのは中学1年生の少年、その少年のおじいちゃんが横笛を吹いています。
このように地域の人たちの努力によって、神楽が伝承されています。

(6)恵比寿(鯛釣り)の舞
「恵比寿(鯛釣り)の舞」はどの地域の神楽においても共通して演じられる演目ですが、その形態は様々です。
千葉県北部の神楽では鯛釣りのご褒美に生きのいい鯛をプレゼントしてくれたり、利根川下流地域の神楽では生きた鯉をくれるところもあります。

 上山川諏訪神社太太神楽では紅白のお餅を餌に、観客がお祝儀として差し出すお札や酒一升を釣り上げるなど、地域のみんなが参加して楽しめる演目です。
中には気前良く1万円札を差し出す人もいるから驚きです。

 鯛釣りの後に大量の餅やお菓子がまかれ、これをねらって子どもたちが集まり、ワイワイガヤガヤ、農家のおばさんは畑から直行し、最初から捕球体勢に入り、地べたに陣取っていました。
結城上山川太々神楽恵比寿(鯛釣り)の舞結城上山川太々神楽恵比寿(鯛釣り)の舞






結城上山川太々神楽恵比寿(鯛釣り)の舞結城上山川太々神楽恵比寿(鯛釣り)の舞






結城上山川太々神楽恵比寿(鯛釣り)の舞結城上山川太々神楽恵比寿(鯛釣り)の舞

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2010年04月26日

上山川諏訪神社太太神楽(5)稲荷の舞

上山川諏訪神社太太神楽(5)稲荷の舞
日時:[2010]平成22年4月3日(土)午後1時〜4時
場所:上山川諏訪神社(結城市上山川160番地)
文化財:茨城県無形民俗文化財
問合:0296−35−6007(上山川諏訪神社)

 茨城県西地域では、江戸時代中期から昭和30年代にかけて、多くの神社で神楽が演じられてきた歴史があり、現在でも地域の人たちの楽しみとして「十二座神楽」が継承されています。
 先に当ブログにアップした栃木県真岡市大前神社の「大大神楽」と比較して見たいと思い、出かけました。

 上山川諏訪神社では毎年4月3日、五穀豊穣を祈る「神武祭」のおり、「諏訪神社太太神楽保存会」の皆さんにより、太太神楽が奉納されています。
 
 境内には露店が並び、骨董市、なつかしの発動機展示なども行なわれ、地域のみなさんが伝統芸能を楽しんでいる様子が伺われました。

 保存会では結城市内のほかの神社7社に出向く「神楽の出張奉納」という珍しい形をとり、神楽の伝承に努めています。
太鼓を叩いているのは中学1年生の少年、その少年のおじいちゃんが横笛を吹いています。
このように地域の人たちの努力によって、神楽が伝承されています。

(5)稲荷(男神)の舞・稲刈(女神)の舞
稲荷(男神)の舞:白狐の面をつけ鍬で耕す所作を行なう。
稲刈(女神)の舞:ピンクの狐面をつけ、折敷の切り紙をまき散らす。
結城上山川太々神楽選抜10-4-3(8)稲荷の舞結城上山川太々神楽選抜10-4-3(8)稲荷の舞






結城上山川太々神楽選抜10-4-3(8)稲荷の舞結城上山川太々神楽選抜10-4-3(8)稲荷の舞






結城上山川太々神楽選抜10-4-3(8)稲荷の舞結城上山川太々神楽選抜10-4-3(8)稲荷の舞

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2010年04月25日

上山川諏訪神社太太神楽(4)蟇目(弓引き)の舞

上山川諏訪神社太太神楽(4)蟇目(弓引き)の舞
日時:[2010]平成22年4月3日(土)午後1時〜4時
場所:上山川諏訪神社(結城市上山川160番地)
文化財:茨城県無形民俗文化財
問合:0296−35−6007(上山川諏訪神社)

 茨城県西地域では、江戸時代中期から昭和30年代にかけて、多くの神社で神楽が演じられてきた歴史があり、現在でも地域の人たちの楽しみとして「十二座神楽」が継承されています。
 先に当ブログにアップした栃木県真岡市大前神社の「大大神楽」と比較して見たいと思い、出かけました。

 上山川諏訪神社では毎年4月3日、五穀豊穣を祈る「神武祭」のおり、「諏訪神社太太神楽保存会」の皆さんにより、太太神楽が奉納されています。
 
 境内には露店が並び、骨董市、なつかしの発動機展示なども行なわれ、地域のみなさんが伝統芸能を楽しんでいる様子が伺われました。

 保存会では結城市内のほかの神社7社に出向く「神楽の出張奉納」という珍しい形をとり、神楽の伝承に努めています。
太鼓を叩いているのは中学1年生の少年、その少年のおじいちゃんが横笛を吹いています。
このように地域の人たちの努力によって、神楽が伝承されています。

(4)蟇目(弓引き)の舞
弓を持った神楽士一人が神楽殿の4角で弓を引く所作を行いながら舞います。
この舞の特徴はジャンプ、数えると18回も飛び上がりました。
他の神社の神楽では見られない所作です。
結城上山川太々神楽選抜10-4-3(6)弓引き(蟇目)の舞結城上山川太々神楽選抜10-4-3(6)弓引き(蟇目)の舞






結城上山川太々神楽選抜10-4-3(6)弓引き(蟇目)の舞結城上山川太々神楽選抜10-4-3(6)弓引き(蟇目)の舞






結城上山川太々神楽選抜10-4-3(6)弓引き(蟇目)の舞結城上山川太々神楽選抜10-4-3(6)弓引き(蟇目)の舞

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2010年04月24日

高根山大山寺稚児行列(3)虫封

高根山大山寺 報恩お稚児練供養行列(3)虫封
◆日時:[2010]平成22年4月18日(日)午前10時〜
◆場所:高根山大山寺(城里町高根)
 大山寺は弘仁元年(810)弘法大師によって開かれたと伝えられ、子どもの健やかな成長を祈る小児虫封霊場と知られ、近年では桜やつばきの咲く花の寺第3番のお寺として親しまれています。
 
 女の子は赤い衣装に天冠、男の子は緑の衣装に烏帽子をかぶった子どもたち約200人とその家族、住職、役員など総勢600人が大山寺までのほぼ2キロメートルの道のりを練歩きました。
 
 前日大雪であった空は青く晴れて、暖かい天気に子どもたちもうれしそうに歩くものの、2キロの距離は幼いこどもにとっては苛酷な道のりで、疲れて果てだっこされてお眠り。

 仁王門に着くと御詠歌の流れる中、お坊さんと握手をし頭に聖水をいただき健康を祈る儀式がなされ、地元住民でつくる「桂むらおこし会」から「笹にあられ」の記念品を手渡されます。
笹の短冊には「子どもは私たちの宝です。健やかな成長をお祈り申し上げます。」と書かれ、子どもたちを大切に見守っていこうという願いが込められています。

 さらに観音堂を巡り、本堂を巡って供養行列は終わります。子どもたちの心に一つの思い出が宿ったことでしょう。
大山寺10-04-18大山寺虫切り大山寺10-04-18大山寺虫切り






大山寺10-04-18大山寺虫切り大山寺10-04-18大山寺虫切り






大山寺10-04-18大山寺虫切り大山寺10-04-18大山寺虫切り

cjs0188 at 00:58|PermalinkComments(0) お祭り | 城里町

2010年04月23日

高根山大山寺稚児行列(2)稚児行列(城里町)

高根山大山寺 報恩お稚児練供養行列(2)稚児行列
◆日時:[2010]平成22年4月18日(日)午前10時〜
◆場所:高根山大山寺(城里町高根)
 大山寺は弘仁元年(810)弘法大師によって開かれたと伝えられ、子どもの健やかな成長を祈る小児虫封霊場と知られ、近年では桜やつばきの咲く花の寺第3番のお寺として親しまれています。
 
 女の子は赤い衣装に天冠、男の子は緑の衣装に烏帽子をかぶった子どもたち約200人とその家族、住職、役員など総勢600人が大山寺までのほぼ2キロメートルの道のりを練歩きました。
 
 前日大雪であった空は青く晴れて、暖かい天気に子どもたちもうれしそうに歩くものの、2キロの距離は幼いこどもにとっては苛酷な道のりで、疲れて果てだっこされてお眠り。

 仁王門に着くと御詠歌の流れる中、お坊さんと握手をし頭に聖水をいただき健康を祈る儀式がなされ、地元住民でつくる「桂むらおこし会」から「笹にあられ」の記念品を手渡されます。
笹の短冊には「子どもは私たちの宝です。健やかな成長をお祈り申し上げます。」と書かれ、子どもたちを大切に見守っていこうという願いが込められています。 
大山寺10-04-18稚児行列大山寺10-04-18稚児行列






大山寺10-04-18稚児行列大山寺10-04-18稚児行列






大山寺10-04-18稚児行列大山寺10-04-18稚児行列

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2010年04月22日

高根山大山寺稚児行列(1)お練行列(城里町)

高根山大山寺 報恩お稚児練供養行列(1)お練行列
◆日時:[2010]平成22年4月18日(日)午前10時〜
◆場所:高根山大山寺(城里町高根)
 大山寺は弘仁元年(810)弘法大師によって開かれたと伝えられ、子どもの健やかな成長を祈る小児虫封霊場と知られ、近年では桜やつばきの咲く花の寺第3番のお寺として親しまれています。
 
 女の子は赤い衣装に天冠、男の子は緑の衣装に烏帽子をかぶった子どもたち約200人とその家族、住職、役員など総勢600人が大山寺までのほぼ2キロメートルの道のりを練歩きました。
大山寺10-04-18和尚行列大山寺10-04-18和尚行列






大山寺10-04-18和尚行列大山寺10-04-18和尚行列






大山寺10-04-18和尚行列大山寺10-04-18和尚行列

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2010年04月21日

上山川諏訪神社太太神楽(3)翁(剣)の舞

上山川諏訪神社太太神楽(3)翁(剣)の舞
日時:[2010]平成22年4月3日(土)午後1時〜4時
場所:上山川諏訪神社(結城市上山川160番地)
文化財:茨城県無形民俗文化財
問合:0296−35−6007(上山川諏訪神社)

 茨城県西地域では、江戸時代中期から昭和30年代にかけて、多くの神社で神楽が演じられてきた歴史があり、現在でも地域の人たちの楽しみとして「十二座神楽」が継承されています。
 先に当ブログにアップした栃木県真岡市大前神社の「大大神楽」と比較して見たいと思い、出かけました。

 上山川諏訪神社では毎年4月3日、五穀豊穣を祈る「神武祭」のおり、「諏訪神社太太神楽保存会」の皆さんにより、太太神楽が奉納されています。
 
 境内には露店が並び、骨董市、なつかしの発動機展示なども行なわれ、地域のみなさんが伝統芸能を楽しんでいる様子が伺われました。

 保存会では結城市内のほかの神社7社に出向く「神楽の出張奉納」という珍しい形をとり、神楽の伝承に努めています。
太鼓を叩いているのは中学1年生の少年、その少年のおじいちゃんが横笛を吹いています。
このように地域の人たちの努力によって、神楽が伝承されています。

(3)翁(剣)の舞
左手を背に、腰をかがめて登場し、鈴や太刀を持って四方へ向かって舞う動作を繰り返します。
結城上山川太々神楽(7)翁(剣)の舞結城上山川太々神楽(7)翁(剣)の舞






結城上山川太々神楽(7)翁(剣)の舞結城上山川太々神楽(7)翁(剣)の舞






結城上山川太々神楽(7)翁(剣)の舞結城上山川太々神楽(7)翁(剣)の舞

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2010年04月20日

沓掛峠のヤマザクラと雪(大子町)

沓掛峠のヤマザクラと雪(大子町)

 時ならぬ大雪にイメージしたことは「桜に雪」、さっそく出かけた先は大子町の外大野しだれ。
外大野のしだれ桜を見たあと「沓掛峠のヤマザクラ」へ(案内板あり)。
対向できないような細い雪の積もった山道をたどって、峠付近に車を止めます。10台くらい駐車スペースあります。

 桜は五分咲きといたっところ、4月24,5日が見頃かもしれません。
峠からの眺めがすばらしく、ヤマザクラ越しに奥久慈の山並みを見通すことができます。
[2010]平成22年4月17日撮影

沓掛峠のヤマザクラのデータ
○樹種名:ヤマザクラ(26本)・・開花はソメイヨシノが葉桜になる頃から
○樹齢:推定130年(寿命700年、ソメイヨシノは60年)
○樹高:約20メートル
○幹周り:約3.6メートル
○所在地:大子町大字大生瀬字沓掛地内
○所有者:熊ノ久保共有地
○管理:沓掛峠の山桜を守る会

○地理的位置:標高480メートル。以前は人馬の往来も困難な曲がりくねった狭溢な道であった。
○峠の呼称の由来:平安時代の終わり頃八幡太郎義家が奥州征伐に行く途中、この地で馬のくつわの手綱を松の木にかけて休息したことから「沓掛峠」と呼ばれるようになったと伝えられています。

常陸太田市「泉福寺のしだれ桜の雪景色」もご覧ください。


沓掛峠山桜沓掛峠山桜






沓掛峠山桜沓掛峠山桜






沓掛峠山桜沓掛峠山桜

cjs0188 at 19:35|PermalinkComments(2)  | 大子町のお祭りイベント

2010年04月19日

小生瀬地蔵尊のしだれ桜と雪(大子町)

 小生瀬(こなませ)地蔵尊のしだれ桜と雪(大子町)

 時ならぬ大雪にイメージしたことは「桜に雪」、さっそく出かけた先は大子町の外大野しだれ。
外大野のしだれ桜を見たあと「小生瀬地蔵尊のしだれ桜」の案内板に沿って子安地蔵尊にゆくと、ここも見事な枝垂れ桜が地区の人々によって保存され、夜にはライトアップされている様子、ほぼ満開で散り始めていました。
[2010]平成22年4月17日撮影

常陸太田市「泉福寺のしだれ桜の雪景色」もご覧ください。
桜と雪10-4-17 (5)小生瀬のシダレザクラ桜と雪10-4-17 (5)小生瀬のシダレザクラ






桜と雪10-4-17 (5)小生瀬のシダレザクラ桜と雪10-4-17 (5)小生瀬のシダレザクラ






桜と雪10-4-17 (5)小生瀬のシダレザクラ桜と雪10-4-17 (5)小生瀬のシダレザクラ

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2010年04月18日

外大野しだれ桜と雪(大子町)

 時ならぬ大雪にイメージしたことは「桜に雪」、さっそく出かけた先は大子町の外大野しだれ。
青い空と白い雪の狭間に桜色のしだれ桜を目の当たりにして、二度とは見られないであろう光景に我を忘れてシャッターを切ってしまいました。
[2010]平成22年4月17日撮影
データ
☆ 場   所  茨城県久慈郡大子町外大野(下大倉地内)
☆ 推定樹齢  約320年 ・ 樹高  約20m
☆ 目通り幹周  約3.5m

この桜の花は,淡紅色で細かく,気品の高い糸桜です。
伝承によれば,水戸光圀公のお手植えの桜と言われています。

常陸太田市「泉福寺のしだれ桜の雪景色」もご覧ください。

桜と雪10-4-17 (4)外大野のしだれ桜桜と雪10-4-17 (4)外大野のしだれ桜






桜と雪10-4-17 (4)外大野のしだれ桜桜と雪10-4-17 (4)外大野のしだれ桜






桜と雪10-4-17 (4)外大野のしだれ桜桜と雪10-4-17 (4)外大野のしだれ桜

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2010年04月17日

上山川諏訪神社太太神楽(2)猿田彦(天狗)の舞

上山川諏訪神社太太神楽(2)猿田彦(天狗)の舞
日時:[2010]平成22年4月3日(土)午後1時〜4時
場所:上山川諏訪神社(結城市上山川160番地)
文化財:茨城県無形民俗文化財
問合:0296−35−6007(上山川諏訪神社)

 茨城県西地域では、江戸時代中期から昭和30年代にかけて、多くの神社で神楽が演じられてきた歴史があり、現在でも地域の人たちの楽しみとして「十二座神楽」が継承されています。
 先に当ブログにアップした栃木県真岡市大前神社の「大大神楽」と比較して見たいと思い、出かけてきました。

 上山川諏訪神社では毎年4月3日、五穀豊穣を祈る「神武祭」のおり、「諏訪神社太太神楽保存会」の皆さんにより、太太神楽が奉納されています。
 
 境内には露店が並び、骨董市、なつかしの発動機展示なども行なわれ、地域のみなさんが伝統芸能を楽しんでいる様子が伺われました。

(2)猿田彦(天狗)の舞
おなじみ天狗の舞です。
天孫降臨の時に天孫(ニニギノミコト)の道先案内を務めた神で、赤い顔の鼻の長さ21センチ、背の高さ210センチ、未来を予知する霊力を持つ大きな神様です。
近くの神社の祭礼のおり、高下駄をはき鉾をもって神輿行列の先頭を歩く姿を見かけるなじみの神様です。
舞台では足をドンドンと踏み鳴らし、鉾をグルグル回す勇壮な舞を披露します。
結城上山川太々神楽猿田彦(天狗)の舞結城上山川太々神楽猿田彦(天狗)の舞






結城上山川太々神楽猿田彦(天狗)の舞結城上山川太々神楽猿田彦(天狗)の舞






結城上山川太々神楽猿田彦(天狗)の舞結城上山川太々神楽猿田彦(天狗)の舞

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2010年04月16日

上山川諏訪神社太太神楽(1)五行の舞

上山川諏訪神社太太神楽(1)五行の舞
日時:[2010]平成22年4月3日(土)午後1時〜4時
場所:上山川諏訪神社(結城市上山川160番地)
文化財:茨城県無形民俗文化財
問合:0296−35−6007(上山川諏訪神社)

 茨城県西地域では、江戸時代中期から昭和30年代にかけて、多くの神社で神楽が演じられてきた歴史があり、現在でも地域の人たちの楽しみとして「十二座神楽」が継承されています。
 先に当ブログにアップした栃木県真岡市大前神社の「大大神楽」と比較して見たいと思い、出かけてきました。

 上山川諏訪神社では毎年4月3日、五穀豊穣を祈る「神武祭」のおり、「諏訪神社太太神楽保存会」の皆さんにより、太太神楽が奉納されています。
 
 境内には露店が並び、骨董市、なつかしの発動機展示なども行なわれ、地域のみなさんが伝統芸能を楽しんでいる様子が伺われました。

(1)五行の舞
大前神社では5人の神様の舞であったのに対して、ここでは二人舞です。
結城上山川太々神楽選抜五行の舞(四方固め)結城上山川太々神楽選抜五行の舞(四方固め)






結城上山川太々神楽選抜五行の舞(四方固め)結城上山川太々神楽選抜五行の舞(四方固め)






 茨城県発動機保存研究会により数十台の発動機が「バリッバリッ」と力強いエンジン音を響かせ、白煙をあげています。
50年ほど前、農家だった実家でバーチカルポンプや脱穀機を回していた発動機をなつかしく思い出しました。
結城上山川太々神楽選抜五行の舞(四方固め)結城上山川太々神楽選抜五行の舞(四方固め)

cjs0188 at 00:24|PermalinkComments(0) お祭り | 結城市

2010年04月15日

明野薪能第17回公演(3)花の袖

明野薪能第17回公演(3)花の袖
日時:[2010]平成22年4月10日(土)午後5時から午後8時30分
会場:筑西市明野公民館運動広場屋外特設舞台
主催:明野薪能実行委員会
(入場無料ですが、自主的な住民の運営に協賛金を提供すれば優先的に着席できるシステムです。)

 満開の桜を背景に桜舞い散る能舞台で、幽玄な世界が展開されました。
地域文化の創造
 明野薪能公演は、地域の文化を創造していこうという自主的な住民参加の企画・運営・舞台製作によって開催されています。

 明野薪能実行委員会では、地元の小中高の子どもたちによる小舞や狂言・鼓の稽古を支援し、公演の舞台で演じてもらい、将来を担う子ども達が日本の伝統芸能に触れることで、伝統文化・芸能に対する誇りや愛着を醸成する大きな役割も果たしています。
 
花の袖
 狂言の中で舞う短い舞のこと。
紋付袴姿で独立した演目として演じられることがあり、狂言の基本である美しい立ち居振る舞いなど身体の基礎訓練としても重要視されています。
明野薪能桜満開10-4-10(6)花の袖明野薪能桜満開10-4-10(6)花の袖






明野薪能桜満開10-4-10(6)花の袖明野薪能桜満開10-4-10(6)花の袖






明野薪能桜満開10-4-10(6)花の袖明野薪能桜満開10-4-10(6)花の袖

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2010年04月14日

明野薪能第17回公演(2)大鼓連調

明野薪能第17回公演(2)みんなでチャレンジ大鼓連調
日時:[2010]平成22年4月10日(土)午後5時から午後8時30分
会場:筑西市明野公民館運動広場屋外特設舞台
主催:明野薪能実行委員会
(入場無料ですが、自主的な住民の運営に協賛金を提供すれば優先的に着席できるシステムです。)

 満開の桜を背景に桜舞い散る能舞台で、幽玄な世界が展開されました。
舞台を手作り
 明野薪能公演は、地域の文化を創造していこうという自主的な住民参加の企画・運営・舞台製作によって開催されています。
初回公演から入場料無料をとおしていますが、中央から能楽師を招く費用や音響照明設備の費用をどのようにして捻出しているのでしょうか?
 
 筑西市からの助成があるもののそのほとんどは、住民自らの活動で賄っています。
協賛金の募集、舞台設営、ポスターやチラシ作成まで「手づくりの薪能」をモットーに自主的な住民参加の活動が行われています。

 たとえば大きな能舞台そのもは住民たちの手作りであり、この能舞台をを他府県地域(狩野川薪能や土浦薪能、ひたち薪能など)に有料で貸し出しています。

大鼓(おおつづみ)連調
 大鼓連調は謡や笛に合わせて大鼓(おおつづみ)だけで演奏する初歩的なもので、小学校4年生から高校3年生までの子どもたち及び実行委員会のメンバー3人も加わって演奏されました。

明野薪能桜満開10-4-10(5)大鼓連調明野薪能桜満開10-4-10(5)大鼓連調






明野薪能桜満開10-4-10(5)大鼓連調明野薪能桜満開10-4-10(5)大鼓連調






明野薪能桜満開10-4-10(5)大鼓連調明野薪能桜満開10-4-10(5)大鼓連調

cjs0188 at 00:38|PermalinkComments(0) お祭り | 筑西市

2010年04月13日

お庭で夜桜

 退勤途中桜をライトアップしているお宅(大橋町江口様)を発見、ぶしつけながら見物させてもらいました。
種類は山桜、樹齢およそ100年、庭いっぱいに枝を広げ、2個のライトに照らされています。

 山桜の満開の日はたった一日、今夜は風もなく、暖かい、お花見日和ということでお酒を飲みながら、ご近所といっしょにお花見の最中でした。
それにしても自宅で夜桜見物できるとは、風流なお話です
(2010-4-13夜8:30頃撮影)

(感度を上げて撮影したものの、手持ち撮影のためブレています、ご容赦を!)
桜10-04-13大橋桜10-04-13大橋






桜10-04-13大橋桜10-04-13大橋






桜10-04-13大橋桜10-04-13大橋

cjs0188 at 22:58|PermalinkComments(0) 花めぐり | 日立市のお祭り・イベント

明野薪能第17回公演(1)大島の桜

明野薪能第17回公演(1)
日時:[2010]平成22年4月10日(土)午後5時から午後8時30分
会場:筑西市明野公民館運動広場屋外特設舞台
主催:明野薪能実行委員会
(入場無料ですが、自主的な住民の運営に協賛金を提供すれば優先的に着席できるシステムです。)

 満開の桜を背景に桜舞い散る能舞台で、幽玄な世界が展開されました。

 明野薪能公演は、地域の文化を創造していこうという自主的な住民参加の企画・運営・舞台製作によって開催されています。

 特に将来を担う子どもたちが、日本の伝統芸能を演じ感動を体験することは、伝統文化・芸能に対する誇りや郷土への愛着を醸成するうえで重要な役割を果たしています。

大鳥の桜の由来
 明野公民館は筑波山が望める絶好の位置にあり、その周囲には不思議に思うほど背の高いの桜が植えられ桜並木を形成し、暖かい春の一日花見に興ずる家族やグループの人たちが楽しんでいました。
 この桜は元の中学校(大村・鳥羽村組合立大鳥中学校)第2回卒業生が昭和26年(1951)3月に一人一本ずつ170本の苗木を植えたもので、一つの文化遺産として60年後の市民が桜を鑑賞できるということは有難いことです。
明野薪能桜満開(2)大鳥の桜明野薪能桜満開(2)大鳥の桜







子どもたちの練習の様子
明野薪能桜満開(2)大鳥の桜明野薪能桜満開(2)大鳥の桜







開会式・かがり火に点火式
明野薪能桜満開(2)大鳥の桜明野薪能桜満開(2)大鳥の桜

cjs0188 at 00:23|PermalinkComments(0) お祭り | 筑西市

2010年04月12日

常陸大宮・西方寺の枝垂れ桜が見頃

[2010]平成22年4月12日雨の朝8:00頃撮影
常陸大宮市北町
旧国道118号、バス停北町2丁目付近

ほんのり桜色、つぼみもあり、散り始めていますが見頃です。

西方寺枝垂れ桜の由緒に関する掲示はありません。
西方寺は法然上人の浄土宗宣布の道場といわれ、昔は多くの僧侶がここを訪れてきたともいわれています。(常陸大宮市観光協会HPより)

常陸大宮西方寺常陸大宮西方寺







常陸大宮西方寺常陸大宮西方寺






常陸大宮西方寺

cjs0188 at 10:32|PermalinkComments(0) 花めぐり | 常陸大宮市

日立さくらまつり(7)日立風流物・風流花咲爺

日立さくらまつり(7)日立風流物・風流花咲爺
◆開催日:[2010]平成22年4月1日(木)から20日(火)
        風流物公開4月3日(土)から4日(日)
◆場所:日立駅前平和通り

子どもたちの楽しみ・花咲かじいさん
 裏山での演目は子どもたちへのサービスとして、日本昔話から「風流花咲爺」が演じられ、降ってくる大判小判や瓦を拾い集める子どもたちの歓声が上がりました。

日立風流物
(国指定重要有形民俗文化財・国指定重要無形民俗文化財)
(ユネスコ無形文化遺産保護条約記載)

 日立風流物は、昔は宮田風流物といわれ、その起源は定かではありませんが、元禄8年(1695)徳川光圀公の命により、神峰神社が宮田、助川、会瀬3村の鎮守になったときに、氏子たちが造った山車を祭礼に繰り出したのが始まりだといわれています。
 この山車に人形芝居を組み合わせるようになったのは、享保年間(1716〜1735)からだと伝えられています。

開き
 人形で物語を演じるには少なくとも、一段で2〜3体の人形を投じるため広い間口が必要になりますが、昔の道幅では取り回しができないので、そこで、日立風流物を特徴づける「開き」と呼ばれる舞台の折りたたみが考案されました。
 村人の好評を博した人形芝居は、さらに場面を増やす方向に氏子を駆り立て、横への広がりは限界があるため、立体高層化し、大正時代までに現在見られる5層まで進化し、全国有数の大型山車に進化しました。

早返り
 日立日立風流物に使われる人形は独特な構造になっています。
「早返り」という動作を行なうため、一体の人形の上下に首をつけ、武士の衣装と姫の衣装をあらかじめ着せておき、どんでん返しを行ない、一体の人形を二体として使用することで、物語の場面が倍になり、楽しみも倍になる仕掛けが隠されています。

回転
 山車の大型化にともない、山車の裏側にも人形を載せ演技したいけれども、大勢の観客を移動させるわけにはいかないので、ならば「山車を回してしまえ」という大胆な発想のもとに、山車の回転という仕掛けが開発されました。
 山車の土台を上下二層化し、山綱でバランスを保ちながら、上の山だけを大勢の氏子の力で180度回転させます。
裏山の中空舞台を下ろして支えれば準備完了。失敗は許されない大技です。
日立さくら祭り(6)北町風流物裏山日立さくら祭り(6)北町風流物裏山






日立さくら祭り(6)北町風流物裏山日立さくら祭り(6)北町風流物裏山






日立さくら祭り(6)北町風流物裏山日立さくら祭り(6)北町風流物裏山

cjs0188 at 00:46|PermalinkComments(0) お祭り | 日立市のお祭り・イベント

2010年04月11日

日立さくらまつり(6)日立風流物・回転の力技

日立さくらまつり(6)日立風流物・回転の力技
◆開催日:[2010]平成22年4月1日(木)から20日(火)
        風流物公開4月3日(土)から4日(日)
◆場所:日立駅前平和通り

まだまだ楽しみ・回転
 相撲の力技に観客の視線が集中する如く、何事も力技は見る者を興奮させます。
表山で「風流太閤記」の演技が終わり、裏山へ移動する際の山車の回転は見るものをひきつけ、首尾よく位置が決まったならば、思わず観客から万雷の拍手が沸き起こります。

日立風流物
(国指定重要有形民俗文化財・国指定重要無形民俗文化財)
(ユネスコ無形文化遺産保護条約記載)

 日立風流物は、昔は宮田風流物といわれ、その起源は定かではありませんが、元禄8年(1695)徳川光圀公の命により、神峰神社が宮田、助川、会瀬3村の鎮守になったときに、氏子たちが造った山車を祭礼に繰り出したのが始まりだといわれています。
 この山車に人形芝居を組み合わせるようになったのは、享保年間(1716〜1735)からだと伝えられています。

開き
 人形で物語を演じるには少なくとも、一段で2〜3体の人形を投じるため広い間口が必要になりますが、昔の道幅では取り回しができないので、そこで、日立風流物を特徴づける「開き」と呼ばれる舞台の折りたたみが考案されました。
 村人の好評を博した人形芝居は、さらに場面を増やす方向に氏子を駆り立て、横への広がりは限界があるため、立体高層化し、大正時代までに現在見られる5層まで進化し、全国有数の大型山車に進化しました。

早返り
 日立日立風流物に使われる人形は独特な構造になっています。
「早返り」という動作を行なうため、一体の人形の上下に首をつけ、武士の衣装と姫の衣装をあらかじめ着せておき、どんでん返しを行ない、一体の人形を二体として使用することで、物語の場面が倍になり、楽しみも倍になる仕掛けが隠されています。

回転
 山車の大型化にともない、山車の裏側にも人形を載せ演技したいけれども、大勢の観客を移動させるわけにはいかないので、ならば「山車を回してしまえ」という大胆な発想のもとに、山車の回転という仕掛けが開発されました。
 山車の土台を上下二層化し、山綱でバランスを保ちながら、上の山だけを大勢の氏子の力で180度回転させます。
裏山の中空舞台を下ろして支えれば準備完了。失敗は許されない大技です。
日立さくら祭り表裏回転日立さくら祭り表裏回転






日立さくら祭り表裏回転日立さくら祭り表裏回転






日立さくら祭り表裏回転日立さくら祭り表裏回転

cjs0188 at 00:30|PermalinkComments(0) お祭り | 日立市のお祭り・イベント

2010年04月10日

日立さくらまつり(5)日立風流物・早返り

日立さくらまつり(5)日立風流物・早返り
◆開催日:[2010]平成22年4月1日(木)から20日(火)
        風流物公開4月3日(土)から4日(日)
◆場所:日立駅前平和通り

風流太閤記
 この日の演目は「風流太閤記」
決戦桶狭間、山崎の合戦、本能寺の変がからくり人形によって表現されています。
人形浄瑠璃のように、時間ととも物語の展開が進むわけではなく、一段目から5段目までの場面が時間の変化、物語の展開を表現しています。
一段目の桶狭間の戦いから5段目の本能寺で織田信長が討ち死にする場面変化を物語として、観客は楽しむ趣向です。

 矢が放たれる場面では子どもたちが争って矢を拾います。
さらに観客を楽しませる技として、「早返り」が用意されていて、一瞬のうちに人形が姫に変身、刀をすて赤い傘をカラカラとまわす場面に変わり、見るものは感嘆の声をあげます。

日立風流物
(国指定重要有形民俗文化財・国指定重要無形民俗文化財)
(ユネスコ無形文化遺産保護条約記載)

 日立風流物は、昔は宮田風流物といわれ、その起源は定かではありませんが、元禄8年(1695)徳川光圀公の命により、神峰神社が宮田、助川、会瀬3村の鎮守になったときに、氏子たちが造った山車を祭礼に繰り出したのが始まりだといわれています。
 この山車に人形芝居を組み合わせるようになったのは、享保年間(1716〜1735)からだと伝えられています。

開き
 人形で物語を演じるには少なくとも、一段で2〜3体の人形を投じるため広い間口が必要になりますが、昔の道幅では取り回しができないので、そこで、日立風流物を特徴づける「開き」と呼ばれる舞台の折りたたみが考案されました。
 村人の好評を博した人形芝居は、さらに場面を増やす方向に氏子を駆り立て、横への広がりは限界があるため、立体高層化し、大正時代までに現在見られる5層まで進化し、全国有数の大型山車に進化しました。

早返り
 日立日立風流物に使われる人形は独特な構造になっています。
「早返り」という動作を行なうため、一体の人形の上下に首をつけ、武士の衣装と姫の衣装をあらかじめ着せておき、どんでん返しを行ない、一体の人形を二体として使用することで、物語の場面が倍になり、楽しみも倍になる仕掛けが隠されています。
日立さくら祭り北町風流物表山早変わり日立さくら祭り北町風流物表山早変わり






日立さくら祭り北町風流物表山早変わり日立さくら祭り北町風流物表山早変わり






日立さくら祭り北町風流物表山早変わり日立さくら祭り北町風流物表山早変わり

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2010年04月09日

日立さくらまつり(4)日立風流物・開き

日立さくらまつり(4)日立風流物・開き
◆開催日:[2010]平成22年4月1日(木)から20日(火)
        風流物公開4月3日(土)から4日(日)
◆場所:日立駅前平和通り


いよいよ日立風流物の始まり
 大元の打つ「カチ〜ンッ」と小気味よい拍子木の合図とともに、お囃子がにぎやかに響きだします。
風流物を見つめていても何も変化がないように見えて、まず「せり上がり」という動作が行なわれます。
山車の中で「カグラサン」と呼ばれる人力巻き上げ機により、各層の間隔を広くすることを言います。
 
 せり上がり完了後、一段目から開きの動作に入り、各層が連動して流れるように、観客からみて扇のように開くのが腕の見せどころです。
山車の中で操作している氏子は、自分の舞台の動きが見えない、まして他の舞台の動きも見えないので、どのように呼吸を合わせるのか、チームワークの熟練を要する技です。

この日の演目は「風流太閤記」。
決戦桶狭間、山崎の合戦、本能寺の変がからくり人形によって表現されています。

日立風流物
(国指定重要有形民俗文化財・国指定重要無形民俗文化財)
(ユネスコ無形文化遺産保護条約記載)

 日立風流物は、昔は宮田風流物といわれ、その起源は定かではありませんが、元禄8年(1695)徳川光圀公の命により、神峰神社が宮田、助川、会瀬3村の鎮守になったときに、氏子たちが造った山車を祭礼に繰り出したのが始まりだといわれています。
 この山車に人形芝居を組み合わせるようになったのは、享保年間(1716〜1735)からだと伝えられています。

開き
 人形で物語を演じるには少なくとも、一段で2〜3体の人形を投じるため広い間口が必要になりますが、昔の道幅では取り回しができないので、そこで、日立風流物を特徴づける「開き」と呼ばれる舞台の折りたたみが考案されました。
 村人の好評を博した人形芝居は、さらに場面を増やす方向に氏子を駆り立て、横への広がりは限界があるため、立体高層化し、大正時代までに現在見られる5層まで進化し、全国有数の大型山車に進化しました。

せり上がり
日立さくらまつり(4)日立風流物・開き日立さくらまつり(4)日立風流物・開き






一段目開き・・・桶狭間の戦いの場面が出現。
日立さくらまつり(4)日立風流物・開き日立さくらまつり(4)日立風流物・開き






二段目開き・・・山崎の合戦の場面
日立さくらまつり(4)日立風流物・開き日立さくらまつり(4)日立風流物・開き






三段目開き・・・山崎の合戦の場面
日立さくらまつり(4)日立風流物・開き日立さくらまつり(4)日立風流物・開き






四段目開き・・・本能寺の変
日立さくらまつり(4)日立風流物・開き日立さくらまつり(4)日立風流物・開き






五段目開き・・・本能寺の変
日立さくらまつり(4)日立風流物・開き日立さくらまつり(4)日立風流物・開き

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2010年04月08日

日立さくらまつり(3)日立風流物子ども鳴物

日立さくらまつり(3)日立風流物子ども鳴物
◆開催日:[2010]平成22年4月1日(木)から20日(火)
        風流物公開4月3日(土)から4日(日)
◆場所:日立駅前平和通り

日立風流物子ども鳴物 
 工都日立は近代的なものばかりで占められているわけではなく、伝統的な芸能も保存伝承され、日立さくらまつりでは「日立のささら」「日立風流物」が披露されます。
年に一度だけ公演があるので、そのすばらしさを見逃すわけにはいかず、多少なりとも見るようにしています。

 4町4台の日立風流物のうち今年は北町風流物が公開されました。
大切な伝統芸能を次代にも伝えていこうとして発足した「日立郷土芸能保存会北町支部子ども鳴物」の子どもたち19名が、風流物のお囃子を見事に披露してくれました。
大太鼓2、小太鼓5、笛19。
驚いたことは19名の子どもたち全員が難しい横笛を演奏できることで、1曲目は「さくら〜さくら〜」を演奏してくれました。
 お囃子は笛→太鼓→笛→太鼓・・・と交代しながらの演奏で、どの子も笛と太鼓が演奏できるとはすばらしいことです。
曲目「わたり」「せりあがり」「矢車」「山のべ」などの小節を数回繰り返しながらの演奏になります。
中には自分の背の高さより高い大太鼓を打つ子どももあり、負けずに頑張っていました。

日立風流物
(国指定重要有形民俗文化財・国指定重要無形民俗文化財)
(ユネスコ無形文化遺産保護条約記載)

 日立風流物は、昔は宮田風流物といわれ、その起源は定かではありませんが、元禄8年(1695)徳川光圀公の命により、神峰神社が宮田、助川、会瀬3村の鎮守になったときに、氏子たちが造った山車を祭礼に繰り出したのが始まりだといわれています。
 この山車に人形芝居を組み合わせるようになったのは、享保年間(1716〜1735)からだと伝えられています。
日立さくら祭り北町風流物子供鳴り物日立さくら祭り北町風流物子供鳴り物






日立さくら祭り北町風流物子供鳴り物日立さくら祭り北町風流物子供鳴り物






日立さくら祭り北町風流物子供鳴り物日立さくら祭り北町風流物子供鳴り物

cjs0188 at 00:14|PermalinkComments(0) たのしいイベント | 日立市のお祭り・イベント

2010年04月07日

阿弥陀寺の枝垂れ桜が見頃

那珂市額田南郷の阿弥陀寺の枝垂れ桜が見頃です。(20101-4-6撮影)

2008年は4月7日頃に満開でした。
2009年は4月6日頃に満開でした。

石碑に刻まれている「しだれ桜由来」によると
このしだれ桜は元禄11年(1698)に徳川光圀公により植樹されたと伝えられているので樹齢は312年になります。

親鸞聖人御創建 二十四輩本蹟十四番阿弥陀寺
大山禅房 阿弥陀寺
〒311-0107
茨城県那珂市額田南郷375
TEL:029-298-7505
駐車場有り

「額田南郷にある浄土真宗の寺、開祖は親鸞上人の弟子二十四輩第十四番とされる定信で、建保5年(1217)に初めは大山(桂村)に建立されました。
明徳3年(1392)に額田城主小野崎徒通の懇願により、額田城内堀の内に移し、額田城の守護寺となりました。
その後佐竹氏の秋田移封にともなって小野崎氏とともに秋田に移ったが、まもなく帰国し額田の旧地に再興、元治元年(1864)に天狗党の乱の兵火により消失、本尊である阿弥陀如来仏は県指定文化財になっています。」(那珂市観光協会HPより)
額田阿弥陀寺の桜額田阿弥陀寺の桜






額田阿弥陀寺の桜額田阿弥陀寺の桜

cjs0188 at 17:28|PermalinkComments(0) 那珂市 | 花めぐり

日立さくらまつり(2)ガマの油売り口上

日立さくらまつり(2)ガマの油売り口上
◆開催日:[2010]平成22年4月1日(木)から20日(火)
        風流物公開4月3日(土)から4日(日)
◆場所:日立駅前平和通り
 日立さくらまつりでは20余りのプログラムが5ヶ所のエリアで同時並行的に行なわれ、そのにぎやかさは他に比べようもないイベントであり、大いに楽しむことができます。
注目すべきは伝統的な「日立風流物」とヒップホップなどのダンスがコラボする情景で、伝統と現代の取り合わせを楽しみました。
桜はまるで咲いていません。

(2)筑波山ガマの油売り口上 4日(日)午後2:30頃
 筑波山ガマの油売り口上が新たに登場!威勢の良い掛け声で会場を盛り上げています。
油売り口上は茨城が誇る伝統的な大道芸、その身振り、話術の巧みさもさることながら、口上のことばそのものも味わいのあるものです。

筑波山名物ガマの油売り口上 (平成20年3月29日古河桃まつりにて記録した内容です。)

本日はようこそ古河桃まつりにお越しくださいました。
これから演じまする筑波山名物ガマの油売り口上ですが、10分少々のお時間を頂戴して進めて参りたいと思います。

さて口上のルーツはといいますと、今から250年ほど前江戸時代中ごろのお話です。
常陸の国は筑波郡永井村 ただいまの土浦市永井に兵助(ひょうすけ)という頭の良い少年がおりました。

この少年こそが後に江戸に出て浅草などの縁日などでガマの油を言葉巧みに、最初に売り出した人であります。

従いまして、エーッエヘンこのガマの油売り口上初代名人は永井兵助というわけでございます。
ただいまの口上名人永井兵助は19代目を数えております。

テレビラジオの無かった時代に昔の人はどのようにして商品を販売したのでありましょうか?
大道商人の話芸をお楽しみください。

サアーッサアーッ お立合。
ご用とお急ぎでない方、またそちらのお急ぎの方もゆっくりと聞いておいで見ておいで。

遠目山越し笠のうち、聞かざる時には物の出方善悪隘路(あいろ)がとんと分からない。

山寺の鐘がゴ〜〜ンゴ〜〜ンと鳴ると言えども、童児一人来りて鐘に撞木を与えなければ、鐘がなるのか撞木が鳴るのか、打つ撞木か打たるる鐘か、鐘と撞木の鳴り較べ とんとその音色がわからぬのが道理。

サァテお立合 手前ここに取りいだしたるこれなるこのなつめ(抹茶の茶入れの一種、形がナツメ実に似ている。)
この中には一寸八分 唐子ゼンマイの人形が仕掛けてござる。

わが国に人形の細工師あまたありと言えども、京都にては   大阪表にては竹田結之助、近江の大乗は藤原のあそん、この両名をおいて上手名人はござりませぬけれども、手前のは近江のつむり細工で、もんどには8枚のコハゼをしかけ、背中には10と2枚の唐子歯車を仕組んでござる。

このナツメを大道に据え置くならば、天の光を受け、地の湿りをば吸い上げまして、陰陽合体ぱっとナツメのフタをとる時にはツカツカツカと進むが、虎の小走り、虎走り、後ろに下がって雀コマドリコマ返しに孔雀霊鳥の舞。

12通りの芸当が仕組んでござる。いかに人形の芸当が上手であろうとも投げ銭や放り銭はお断り申す。

手前大道にて未熟な渡世はしておるけれどもはばかりながら天下の素浪人。ドロのついた投げ銭放り銭をバタバタバタバタ拾ったとあってはこの男がすたる。

しからばお前さん投げ銭放り銭をもらわないで何を持って商売としておるのか、何をもっておまんまを食べとるのかと心配なさるお方がおるかもしれませんが、これなるこの看板の示す如くに筑波山妙薬は陣中膏 ガマの油、このガマの油の膏薬をば売りまして家業と致しております。

サテお立ち会い 手前ここに取りいだしたるは それなるその陣中膏はガマの油。ガマと言ったってそこにもいるここにもいるガマとは物が違う。

ハハァーンガマかい、ガマならおれんとこの縁の下、流し元、裏の竹薮にもぞろぞろいるといわれるお方があるかも知れないがあれはガマと言わぬ。

ただのヒキガエル、イボガエルかデングリガエルか、オッタマガエル、何の薬石効能はないよ。お立ち合い。

手前のはこれ四六のガマ、四六五六はどこで見分けるか。
前足の指の数が四本、後足の指の数が六本これを名付けて七面相は四六のガマだ。

サァテお立ち合い、このガマはどこに住むかと申すと、ご当地古河の里より遥か東は、常陸の国は筑波の国。

「つくばねの 峰より落つる みなの川. 恋ぞつもりて 淵となりぬる」
(<通釈>. 筑波山の峰から落ちる水が、やがてみなの川になり、末は淵となるように、私の恋. 心も、しだいに積もり積もって、こよなく深いもの思いになってしまった。)

陽成院によって歌われた古事記万葉の古より関東の名山として歌われておりまする筑波山のふもと、おんばこという露草・薬草を食らって育ちました。

さあてお立ち合い このガマからこの油をとるには、ガマを山中深く分け入って、捕らえきましたるこのガマを四面鏡張りの箱の中にガマを放り込む。

筑波山中においては「我こそは今業平かいやヨン様か」と闊歩いたしておりましたるガンマ先生、おのれの醜い姿が四方の鏡に映るからたまらない、ハハァ、オレは何と醜いヤツなんだろうとおのれの醜い姿を見て、びっくり仰天、巨体より油汗をばタラリタラリと流す。

これを下の金網鉄板に漉き取りまして、柳の小枝を持ってさんしち(3×7)は20と1日の間トローリトローリと煮たきしめまして、赤いシンシャにヤシ油、テレメンテーナ、マンテーカという唐天竺の南蛮渡来の油をばググーっググーっと混ぜ合わせて、練り合わせこしらえたのがお立ち合い、これ陣中膏はガマの油の油だ。

さあてお立ち合い  このガマの油の効能はというと、 ヒツにガンガサ、よう梅毒、ヒビ、アカギレ、シモヤケの妙薬。まだある。

前に参ればインキン、タムシ。後に参れば肛門の病。コウモンの病と言ったって、あの有名な水戸の黄門様が病気した訳じゃないよ。

肛門の病を詳しく言えばデジに、イボジ、ハシリジ、ケイカンジの他、切り傷一切 まだある。

どうだお立ち合い、お立ち合いのお宅に赤ん坊はおいでかな。赤ん坊のアセモ、カブレ、タダレなどには、手前のガマの油の入っている空き箱空箱つづり箱を見せただけでもピタリッと直るよ、お立ち合い。

これほど良く効くガマの油だけれども残念ながら効かないものが四つあるよ。

まずは恋の病と浮気の虫、後二つが、ハゲと白髪にや効かないよ。

おい油屋、お前さん効かないものばかり言っちゃって、もうガマの油の効能は終わりになったのではと心配なさる方もおりますけれども、そうではござりません。

も一つ大事なものが残っておりまする。刃物の切れ味をも止めてご覧に入れる。手前これここに取り出したるは我が家に昔から伝わる名刀。

正宗がヒマにあかせて鍛えたという代物である。実によ〜く切れる。エ〜イ!抜けば玉散る氷のやいば、刃こぼれ一つ無い。サァーどうだ。

ここにちょうど1枚の紙があるから切ってお目にかけよう。1枚の紙を切ってお目にかける。タネもシカケもございません。

はい一枚の紙が二枚と切れる、これ当たり前 二枚の紙が 四枚。しまいと言ったてこれでおしまいじゃないよ。これからがおもしろくなる。

はい四枚の紙が何枚?倍々となると4枚の次は何枚かな?(女の子が、8枚!)。正解おりこうさんだね。

八枚、八枚と切れる。 八枚の紙が八枚の次は何枚かな?おじさんわすれちゃったんだ。(女の子が、16枚!)。正解十と六枚、おっ頭いいね、将来有望ですね。 

十六枚がエィッと三十と六枚、あッ十六の次は三十二枚ですね、おじさんはだめだ、頭が悪いから。

はい三十と二枚が、三十二が六十と四枚 六十四枚がエイ、エイ一束と二十八枚。
後は細かく微塵切。ほ〜れこの通り、実に細かくようく切れた。

ふっとちらせ ば比良の暮雪か、嵐山には落花の吹雪とござ〜い。おたちあい。

さぁ〜てお立ち合い。これほどよく切れる天下の名刀だけれども、ひとたびこのガマの油をつけるときにはたちまち切れ味が止まる。

さし裏、さし表につけまする、さあどうだ。たたいて切れない。押しても引いても切れやしない。

さぁ〜てお立ち合い。お立ち合い中にそのお前のガマの油というものは、切れるモノをただなまくらにするだけのものだという方があるかもしれないが、手前大道商人はしている、金看板は天下御免のガマの油売り」、そんなインチキはやりません。

このようにきれいにふき取るときには、元の切れ味となる。それでは二の腕を切ってごらんにいれる。エイ!アイタッタッタッ。ハイこのとおり。

触っただけでも、赤い血がタラリタラリと出る。しかし心配はいらない。ここにガマの油があるから、ちょっと一塗りする時には、赤い血はピタリと止まる、血止めの薬でございます。

ハイ、ご覧の通りでございます。


さぁ〜てお立ち合い、お立ち合いの中にそれほど効き目新たかなガマの油はいったい一買いいくらだろうとおっしゃる方があるかもしれないが、本日ははるばる古河の里に出張っての大安売り。

男は度胸、女は愛嬌、坊さんお経で、山でウグイス ホーホケキョ。
清水の舞台ならぬ筑波山のてっぺんからまっさかさまに飛び降りたと思って、本来なら一買いが200文のところを半額の100文でどうだ。さあどうだ。

このようにガマの油の効能がわかったら遠慮は無用だ。さあわかったらどぢどし買ったり買ったり。

以上で口上のあらましは終わりになりますが、本日ご覧くださいました皆様方のますますの健康とご発展を祈念申し上げまして、私の口上を終らしていただきます。誠に有難うございました

日立さくら祭り(3)がまの油売り日立さくら祭り(3)がまの油売り






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cjs0188 at 00:12|PermalinkComments(0) たのしいイベント | 日立市のお祭り・イベント

2010年04月06日

日立さくらまつり(1)バリ舞踊

日立さくらまつり(1)バリ舞踊
◆開催日:[2010]平成22年4月1日(木)から20日(火)
        風流物公開4月3日(土)から4日(日)
◆場所:日立駅前平和通り
 日立さくらまつりでは20余りのプログラムが5ヶ所のエリアで同時並行的に行なわれ、そのにぎやかさは他に比べようもないイベントであり、大いに楽しむことができます。
注目すべきは伝統的な「日立風流物」とヒップホップなどのダンスがコラボする情景で、伝統と現代の取り合わせを楽しみました。
桜はまるで咲いていません。

(1)バリ舞踊 4日(日)午後
チーム名はディア・タントリー(東京から招いたチーム)
曲目:不明
 冷たいヤマセ(海からの北東風)が吹き、防寒着をつけての見学です。
東京から招いたというダンスチームのメンバーにとっては、この日立の寒さは骨身に凍みる寒さのはずですが、バリの民俗衣装でしかも裸足で珍しいバリ舞踊を披露してくれました。
昨年度は「極楽鳥の踊り」でしたが、今回はまた違った踊りです。
日立さくら祭り10-04-04(2)バリ舞踏日立さくら祭り10-04-04(2)バリ舞踏






日立さくら祭り10-04-04(2)バリ舞踏日立さくら祭り10-04-04(2)バリ舞踏






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cjs0188 at 00:11|PermalinkComments(0) たのしいイベント | 日立市のお祭り・イベント

2010年04月05日

大前神社大大神楽(7)岩戸開きの舞

大前(おおさき)神社大大神楽(7)岩戸開きの舞
◆日時:[2010]平成22年3月28日(日)13時から16時
◆場所:大前神社 栃木県真岡市東郷937
北関東自動車道全線開通に向けて、北関東三県 栃木・茨城・群馬 の交流をさらに深まめる一助として、伝統文化の発掘紹介を行ないたいと考え、機会があれば神楽や獅子舞などの伝統的行事やお祭りの取材を行なっていきたいと思います。

 3月28日 大前神社春季大祭(祈年祭)において大大神楽の奉納がありました。
当日社務所からいただいた、下記資料中に演目と解説がありこれを手がかりに取材しました。「芳賀郡市の民俗芸能「太太神楽」を中心にして」(栃木県神社庁芳賀支部平成18年8月19日発行)

 大前神社に伝わる大々神楽は、江戸時代の寛政7年(1795年)に伊勢の神宮より伝えられたものと言われており、大前神社の祭礼では、祈年祭(3/28)・例大祭(11/9・10)・新嘗祭(11/27)・節分祭(2/3)に神楽殿で奉納されています。

 本来 大前神社大大神楽では12の演目がエントリーされていますが、この日は7場面のみ披露されました。

(7)岩戸開きの舞
 天照大神(あまてらすおおみかみ)が天の岩戸にお隠れになり、世界が闇に閉ざされてしまいます。
 そこで踊り上手な天鈿女命(あめのうづめのみこと)が岩戸の前で神楽をにぎやかに踊ると、「何事か?」と天照大神が外を見ようとしてわずかに開けられた岩戸を、隠れていた手力雄命(たぢからおのみこと)が金剛力をもって開き、天照大神の出現を喜びます。
暗い世界から世の中が明るくなった、という神話が神楽に表現されており、岩戸を抱えた手力男命が大地を踏み鳴らして勇ましく舞う姿は見事です。

大前神社大御神楽10-3-28(7)岩戸開きの舞大前神社大御神楽10-3-28(7)岩戸開きの舞







大前神社大御神楽10-3-28(7)岩戸開きの舞大前神社大御神楽10-3-28(7)岩戸開きの舞






大前神社大御神楽10-3-28(7)岩戸開きの舞大前神社大御神楽10-3-28(7)岩戸開きの舞

cjs0188 at 00:05|PermalinkComments(0) お祭り | 栃木県真岡市

2010年04月04日

大前神社大大神楽(6)大国主命・事代主命・道化の舞

大前(おおさき)神社大大神楽(6)大国主・事代主命・道化の舞
◆日時:[2010]平成22年3月28日(日)13時から16時
◆場所:大前神社 栃木県真岡市東郷937
北関東自動車道全線開通に向けて、北関東三県 栃木・茨城・群馬 の交流をさらに深まめる一助として、伝統文化の発掘紹介を行ないたいと考え、機会があれば神楽や獅子舞などの伝統的行事やお祭りの取材を行なっていきたいと思います。

 3月28日 大前神社春季大祭(祈年祭)において大大神楽の奉納がありました。
当日社務所からいただいた、下記資料中に演目と解説がありこれを手がかりに取材しました。「芳賀郡市の民俗芸能「太太神楽」を中心にして」(栃木県神社庁芳賀支部平成18年8月19日発行)

 大前神社に伝わる大々神楽は、江戸時代の寛政7年(1795年)に伊勢の神宮より伝えられたものと言われており、大前神社の祭礼では、祈年祭(3/28)・例大祭(11/9・10)・新嘗祭(11/27)・節分祭(2/3)に神楽殿で奉納されています。

 本来 大前神社大大神楽では12の演目がエントリーされていますが、この日は7場面のみ披露されました。

(6)大国主命・事代主命・道化の舞
 大国主命(大黒様)は家内安全、健康、縁結びなどに御利益のある神様、事代主命(恵比寿様)は漁業・経済の守護神であり、二神とも大前神社の祭神であり、私たちにも身近な神様です。
 舞台ではヒョットコが魚を獲る仕草をしながら、集まった子供たちとじゃれあうようなひと時があったのち、釣り竿をもった恵比寿様が現れ、鯛をつる仕草を行います。
さらに大黒様が小槌を持ってあらわれ舞い終わると、二人で餅をまきます。

餅まきの時間近くになると子供たちが集まり、大きな袋にいっぱいの駄菓子を拾って大喜び。
舞の途中に汽笛がゴーッと聞こえ、大前神社の東側を流れる五行川に出てみると、真岡線を走る昔懐かしいSLの雄姿をカメラにおさめることができました。
大前神社大御神楽10-3-28(6)大国主・事代主命・道化の舞大前神社大御神楽10-3-28(6)大国主・事代主命・道化の舞






大前神社大御神楽10-3-28(6)大国主・事代主命・道化の舞大前神社大御神楽10-3-28(6)大国主・事代主命・道化の舞






大前神社大御神楽10-3-28(6)大国主・事代主命・道化の舞大前神社大御神楽10-3-28(6)大国主・事代主命・道化の舞

cjs0188 at 00:39|PermalinkComments(0) お祭り | 栃木県真岡市
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